木霊する余韻。

2日間で凡そ180人のコレクター、学者、メディア、アーティストやクリエイター等にご来場頂いた下見会が、無事終了した。

今回の出展作品は、藤原期(11ー12世紀)の男神像や、鎌倉期(13世紀)の如意輪観音像(本作は来年3月出品)の宗教美術を始め、桃山・江戸期の南蛮屏風二種、甲冑、原三渓旧蔵の尾形乾山四方皿と向付、世界に3枚しか無い懐月堂度繁の版画や、東洲斎写楽の肉筆の中でも最も信用の高い相撲版下絵「大童山と谷風」、葛飾北斎の押絵貼屏風と扇面画帖、ジョサイア・コンドル旧蔵川鍋暁斎の「地獄太夫図」(これはロンドン出品)、そして柴田是真の漆絵画帖。

その中でも一番人気だったのは、是真の世界最高級品質の漆絵画帖…12万ドルの下値が付いているが、良く売れるに違いない。また、来年3月のアジア宗教美術セール「The Sublime and the Beautiful:Masterpieces of Devotion」への出品作品で有る「如意輪観音像」も、中々の高評価で今から楽しみに為って来た。

が、今日のダイアリーは下見会の前夜に遡る。

この晩、筆者はとある「音楽会」に招待されていた…のだが、実はこの「音楽会」が開催された会場は、通常のコンサート会場では無く、凡そ50人分のディナー・セットの用意された六本木のリッツ・カールトンホテルの宴会場で有った。

が、何よりも凄いのは演奏者とその楽器で、演奏者は元ベルリン・フィルのコンサート・マスターで、現在ソリストをしながらドイツの大学で教鞭も取るヴァイオリニスト、コリヤ・ブラッハー、そして彼が演奏するヴァイオリンは、名器として名高い1730年製「ストラディヴァリウス」だったのだ!

さてこの夜の音楽会は、実はその「ストラディヴァリウス」のオーナーの主催だったのだが、それは、通常のストラディヴァリウスの「明るくて、煌びやかな」音色とは少々異なり、「陰影の有る、暖かく深い」音色を特徴とするこの名器がブラッハーに貸与されて居て、その貸与条件の「1年に1度、『オーナーの為に』演奏をする」と云う条項を充たす為の催しだったからで有る。

オーナーに拠る挨拶と演奏者の紹介が終わると、ブラッハーと伴奏ピアニストが登場…早速最初の曲、バラッハーの父、ボリス・ブラッハー作曲の「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」が始まった。

何処と無くアジアの雰囲気を持つ、多調や十二音技法等が施された父の曲を「息子」が正当なる解釈で演奏し終えると、今度はバッハの「無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第3番」からの「プレリュード」…この曲もバッハの「無伴奏」の中では珍しく軽く華麗な曲だが、ブラッハーの演奏も如何にも華やか。

3曲目は、筆者も大好きなバルトークの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」から「第1楽章」。

当時白血病に冒されながらも、メニューインの依頼に因ってバルトークが作曲したこの作品を、ブラッハーは時に情熱的で、時に悲壮感溢れる感動的な物に仕上げ、このストラディヴァリウスの特徴で有る「陰影の有る、暖かく深い」音との相性も手伝って、この晩最高のパフォーマンスと為った。

続く音楽会最後の曲は、何とチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」…勿論ピアノ伴奏のみの編曲だが、如何に借用して居る「ストラディヴァリウス」のオーナーの為とは云え、このラインナップは通常のコンサートよりも豪華ではないか!

そしてブラッハーは、初演で散々叩かれたにも関わらず、今ではベートーベン、メンデルスゾーンブラームスのそれと共に「四大ヴァイオリン・コンチェルト」の一に数えられる、この3楽章から為るドラマティック極まりない名曲を、完璧に弾き切ったので有った。

アンコール演奏終了後、盛大な拍手が鳴り終わると、シャンパンが注がれ乾杯…そしてディナーが始まり、筆者の座るテーブルにはブラッハー始め、オーナー・カップル等が揃い、和気藹々としたひと時を過ごした。

6時半から始まった、プライヴェートな音楽会と夕食会が幕を閉じた10時過ぎ、リッツ・カールトンの玄関からタクシーを拾い、後部シートに身を沈めた筆者の心には、ブラッハーの素晴らしいバルトークストラディヴァリウスの音色、そしてその名器のオーナーの「真の『パトロネージュ』」の美しい「余韻」が、何時迄も木霊して居た。

そんな筆者は今、成田のラウンジ…既に初秋の香りがすると聞く、我が街ニューヨークへと帰る。