狂人走不狂人走。

春が訪れた所為か、街中にはTシャツ・短パンの人の姿も多いこの頃のニューヨーク…と思って居たら、5月にしては異例の寒さがカムバックし、コートをもう一回出す始末。

そんな寒さの中、ニューヨークのアート界には春のメイン・シーズンがやって来た。

今春のアート・フェアは、例えば「Frieze」等でも「コンテンポラリー・マスター」の作品が多く、何方かと云うとカッティング・エッジの作家作品が少なかったとの評判…そしてクリスティーズサザビーズに代表されるオークション・ハウスには、印象派・近代絵画、現代美術共に物凄い作品量が出品されて居るが、然し僕の眼を強く惹く作品は決して多くは無い、と云わざるを得ない。

先ずクリスティーズでは、ベーコンが自身の展覧会初日の朝自殺した恋人を描いた3連作の大名品(嘗て英国の小説家、ロアルド・ダールが所蔵した)「Three Studies for a Portrait od George Dyer」(Estimate on request: 多分下値が5000万ドル位)や、トゥオンブリーが宗教的テーマに挑んだ素晴らしい「Leda and the Swan」(3500万〜5500万ドル)、またピカソがドラ・マールを描いた「Femme Assise, Robe Bleue」(3500万〜5000万ドル)や、ゴーギャンの美しい「Bretonne et Oie au Bord de L'eau」(300万〜500万ドル)、そしてロートレックの「L'Enfant au Chien」(150万〜200万ドル)が秀逸。

対するサザビーズでは、何と言ってもエゴン・シーレの大名品「Danaë」(3000万〜4000万ドル)と、マレーヴィッチの「Suprematist Composition with Plane in Projection」(1200万〜1800万ドル)が白眉で、山口長男「Yellow Eyes」(20万〜30万ドル)もかなり良い作品で有った。

トランプ政権が100日を超え(然し日本のメディアは、他国の大統領の「100日」を特集する暇が有る癖に、何故自国の総理夫妻の疑惑の追求をキチンとしないのだろう?)、アート界にもその経済政策効果が見えるや否や… 来週のセールに注目したい。

で、僕の方はと云うと、相変わらずプライヴェート・セールに精を出したり、僕が審査員をして居る、勝てばNYでの「アーティスト・イン・レジデンス」の権利を獲得出来るRonin Gallery主催の現代日本美術のコンペの審査会に出たり(今年の優勝者は僕も1位に推した女性作家で、僕に「欲しいっ!」と思わせた素晴らしい作家…展覧会も乞うご期待だ!)。

が、最近の僕に取ってのアート的メイン・イヴェントは、メトロポリタン美術館で始まった川久保玲の展覧会、「Rei Kawakubo/Comme des Garçon: Art of the in-Between」で有る!

METが生きて居るファッション・デザイナーをフィーチャーした展覧会としては、サン・ローランに続き史上2人目の快挙と為った本展では、凝ったディスプレイに映える川久保の「スカルプチュアル」なドレスが堪能出来る。

僕はファッションの知識が全然無く、普段着る物にも全く興味の無い人間なのだが、偶々今着て居るコートも、使って居る可愛い小銭入れも「ギャルソン」(然し、何故関西では「ギャルソン」を「コムデ」と呼ぶのだろう?これは「マック」と「マクド」位悩ましい問題だ:笑)…そしてMETでの展覧会と云えばアレキサンダー・マックイーンを思い出すが、個人的にアート感の強い「彫刻的ファッション」が好きなので、本展も非常に興味深く観覧した。

そんな観覧後思ったのは、何故日本から三宅一生高田賢三川久保玲山本耀司以降の世界的デザイナーが出て来ないのか、で有る…一体何故なのだろう?

では此処からが今日の本題で、アートとは関係ない。と云うか、関係無さ過ぎてガッカリする話でも有るので、ご覚悟を。

僕は最近の寒さで全く憂鬱な気分…そしてそんな気分をより悪くして呉れて居るのが、日本から聞こえて来る政治絡みの最悪ニュース群だ。

その元凶で有る安倍政権は、云う迄も無く末期症状だと思うが、首相とその妻を始め各アホ大臣達や自民党から伝わる、例えば高校無償化等の「転向変節」や「読売新聞熟読発言」に代表される特定メディアの私物化、延いては「そもそも」=「基本的に」発言等、その根拠には枚挙に暇が無くもう笑うしか無いが、中でも大笑したのが、「日本会議」と共に安倍首相支持のバックボーンで有る「神社本庁」が嘗て出した、「私 日本人で良かった」広告ポスター事件で有る。

そのポスターの美しき女性モデルが、何と「中国人」だった事には流石に驚いたが、実はこの事件の顛末は神社本庁日本会議安倍晋三に共通する「上っ面感」を象徴して居て、それは(首相の口癖で有る)「まさに」上っ面な愛国心や、上っ面な教養を振り翳しての傲慢さ、全て放ったらかしの上っ面だけの政治、その場凌ぎの上っ面な嘘と誤魔化しの成れの果てとしか思えない。

さて最近、僕が生前より尊敬して止まない政治革命思想家Y先生が良く仰有って居た、大徳寺清巌和尚の警句「狂人走れば不狂人も走る」を良く思い出す。

これは確か鎌倉時代の説話集で有る「沙石集」に出典が有って、世阿弥も能「関寺小町」に引いて来て居る金言だが、「リーダーが狂うと、狂って居ない筈の国民も狂い始め、狂気の長い帯に巻かれて仕舞う」と云う意味…そして「黒塗り文書」しか出さない、イエスマンと成り果てた官僚を見てもお分かりの様に、今の日本はこの危機的状況に有ると云っても過言では無い。

聞く所に拠ると、安倍首相は谷中の全生庵で時折座って居るらしいが、全生庵は嘗てY先生が師事した三島龍澤寺の山本玄峰老師と坐禅を組み、中曽根首相や細川首相を呼びアドバイスをしたとも云われる、国政に由緒有る場所で有る。が、こんな体たらくでは、坐禅の効果も全く出て居ないとしか思えない。

そんな中僕は、最近2冊の本を続けて読了した…即ち大須賀瑞夫著「評伝 田中清玄」(勉誠出版)と、保坂政康・鈴木邦男著「昭和維新史との対話」(現代書館)で有る。

僕は特に田中清玄には昔から興味が有って、それは田中が極左政治犯として収監されて居た時に、極右政治犯として同じ時期に収監されて居たY先生と出逢い、Y先生に拠って玄峰老師を紹介された末、出獄した時には右翼に転向、玄峰老師を頼って龍澤寺で修行をし、その後は天皇制護持の政財界フィクサーとして昭和を生きたからだった。

またこの田中清玄と云う人は「法螺吹き」等とも呼ばれ、色々と毀誉褒貶の人では有るが、写真を見るとスラッとしてオシャレで、英語も出来て、ヨーロッパの貴族や中東のシェイク、中国国家主席迄を含めた外国人とも対等に付き合い、思想が違っても人間に惚れれば深く付き合うと云う、今では中々居ないタイプの男で、僕は田中のそう云った所に強く人間的魅力を感じる。

今では政治家もフィクサー(居るのか?:笑)も小物ばかりで、「上っ面」の愛国者ばかり…その上その政治家の「長」は、深い文化的教養も思想も全く感じられず、自信満々におかしな日本語を使い、議会答弁で質問者を嘲笑したりする癖に、自分は「立法府の長だ」と自信満々に誤発言したりする、恥ずかしい「狂人」なのだから、我が国が亡国の危機に面して居る事に疑問の余地は無い。

こんな国に近い内に永久帰国するのかと思うと気が遠く為るが、我が国の文化と芸術を護る為にも、皆で立ち上がらねば!…然し何故政治家と云う職業には、文化芸術教養の有る人間がこれ程迄に少ないのだろうか?

「不狂人」は決して「狂人」と共に走っては為らない。