現代美術は寛容に、そして冷静に。

昔、某老舗骨董店の番頭さんに、こんな話を聞いた事が有る。

或る日の昼下がり、その老舗骨董店ではその頃未だ若い店員だった番頭さんが、主人の留守を預かって店番をして居た。するとポロシャツにジーンズを穿き、無精髭を生やした体の大きな外国人がもそっと店に入って来て、店の棚に展示して有る焼物を手に取り、眺め始めた。

普通の日本人コレクターなら、一言「拝見して宜しいですか?」とか「触っても宜しいでしょうか?」とか聞きそうなモノだが、何も聞かずに勝手に影青の杯や縄文土偶の頭部等の小物を弄り廻して居るこの外人に彼は不安に為り、声を掛けて止め様としたが如何せん英語が喋れず、途方に暮れてその外人を眺めて居たが、終にはその外人が大名品の皿に手を伸ばした為、奥で事務仕事をして居た当時の番頭さんの所へと走った。

「すみません…変な外人が店に来て、勝手にモノを触っているんですが…然もあの大皿迄!」

英語が得意だったその番頭さんは、「ナニ?誰だろう?俺が云ってやろう!」と云って事務所から店へと出て行くと、大柄な男が背中を丸めて皿を触って居たので、

「Excuse me, sir... may I help you?」

と声を掛けた。

するとその男は皿を置き、徐に振り返ったのだが、その顔を見て吃驚した番頭さんは、一言

「Good afternoon, Mr. President…Please let us know if you need anything.」

と丁寧に云うと、丁稚さんに「馬鹿者!お前はあの人を知らんのか!あの人はフランスの大統領で、有名なコレクターだぞ!」と諭したと云う。

「人は見掛けによらない」話の典型だが、その外人ことフランス共和国元大統領、ジャック・シラク氏が亡くなった。

氏の日本・東洋美術好きは有名で、特に或る時期日本人の彼女が居た事(ミッテランもだ!)や、コレクターで有った事は、骨董業界では広く知られて居た。フランスと云う国は元来哲学と芸術の国なので、芸術文化に関する興味・教養の有る政治家も少なく無いが、我が国のトップ達を考えると比べる事自体が恥ずかしい感じだ。

日本の芸術文化を心より愛したシラク氏のご冥福を、心よりお祈りする(然し、元大統領が亡くなって、バレンボイムが告別式でピアノを弾いたり→https://www.youtube.com/watch?v=Wyg7AoPJwbA、ケ・ブランリー美術館が無料に為ったり、熟く文化レヴェルの差だなぁ…と思う)。

さてそんな中、「あいちトリエンナーレ」問題に新たな展開が有り、何と文化庁助成金を全額出さない事を決定したと云う…もう呆れて声も出ないが、今日は僕なりの考えを。

先ず僕は「あいトリ」を観て居ない…何故なら観に行く前に終わってしまったから。なので、各作品に就いて述べる立場には無い。が、この事件で何しろ一番問題だった事は、「展示を中止した事」では無いかと思う。

第一この展示を決めた時点で、この様な騒ぎが起こる事は火を見るより明らかだった筈で、芸術祭ディレクターがその為の準備を一切して居なかった事は、或る意味「職務怠慢」と云えると思うし、それにも況して悪いのは、「テロ(予告)に屈して」展示を取り止めた事だと思う。

一寸脱線するが、最近僕が観た映画に、現在も渋谷ユーロスペースで公開中の「アートのお値段」(→http://artonedan.com/)が有る。僕のニューヨーク時代の「元」同僚がオンパレードで出演者して居る事に加え、現代美術アート・マーケットの一側面を皮肉たっぷりに描いて居るので誠に興味深いのだが、それだけで無く、所々に実に示唆的な場面が有るので面白い。

その中で、ユダヤ人大コレクターが自身のコレクション中に有る、マウリシオ・カテランが 「ヒトラー」をモデルにした立体作品「Him」(→https://www.christies.com/lotfinder/Lot/maurizio-cattelan-b-1960-him-5994820-details.aspx)に就いて語る場面が有る(実はこの作品は、3年前クリスティーズで1718万9千ドル:約18億5千万円で落札された)。

劇中インタビュアーは、恐らくは誰もが聞きたい質問「ユダヤ人の貴方が、この作品を所有する意味は?」をコレクターに投げ掛けるのだが、この時僕はNYに転勤した直後の2001年5月に、初めてカトランの大作がクリスティーズで売られた時の事を思い出したのだった。

その作品は「ラ・ノラ・オラ」(→https://www.christies.com/lotfinder/Lot/maurizio-cattelan-b-1960-la-nona-2051684-details.aspx)。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(蝋人形)が隕石に当たって赤絨毯の上で十字架を握り締めながら倒れていると云う、このトンデモ立体インスタレーション作品が、下見会のメイン・コーナーに展示されたのを目にした時の驚きは忘れられない。

僕は正直「こんな作品を『公共の場』に展示して大丈夫なのか?」、或いは「例えばローマ法王天皇に置き換えて、日本で展示したらどうなる?」等と思ったし、「ユダヤ人現代作家によるこんな作品をカトリック教徒も多いアメリカで展示・売却したら、教会からの抗議や圧力が来て、大事になるのでは?」と考えたりもした。

が、結果はと云うと、下見会中思った通り我が社には色々な団体からのクレームや抗議も来た様だが、結局作品は展示され続け、無事エスティメイトの倍で売却された。そして僕はこの時に「現代美術のコンテクストに対する、冷静且つ寛容な読解力」と、「アートを扱うべき人間の冷静な信念」を改めて肝に命じたのだった。

今回のこの事件は、ディレクターの信念の足りなさから始まり、地方自治体と文化庁、国の作品に対する読解力不足に拠って起きたのだと思う。そしてダメ押し的に最悪なのは、文化庁が(と云うか、芸術ド素人の文科大臣が、存在感皆無の文化庁長官を飛び越えて…「アーティスト」で有る筈の文化庁長官は、意見も見解も無いのか?)助成金を出すのを中止した事で、文科大臣はその理由に「危険予知」の不備を挙げて居るが笑止千万。

国と政治家、そして官僚ももっと現代美術・芸術を学び、「寛容且つ冷静に」言論の自由表現の自由をテロから守り、「政策芸術で『無い』現代芸術」を国民に知らしめ、学ばせ、産ませる為に我々の税金を使わねばならない。

“Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je défendrai jusqu’à la mort votre droit de le dire.” -Voltaire-

(私は貴方の意見には反対だ。だが、貴方がそれを主張する権利は命をかけて守る)

シラク元大統領の様に、文化芸術を深く理解する日本の政治家が出てくる日は来るのだろうか?そして我が国の政府や政治家、官僚や言論メディアが、ヴォルテールの言葉を胸を張って云える日は来るのだろうか?

 

ーお知らせー

*10/1発売の「婦人画報」11月号(→https://www.hearst.co.jp/brands/fujingaho#)内、「佐竹本三十六歌仙絵」の「何を見たい?」コーナーで、僕の「オススメ歌仙」が取り上げられております。10/12より京博で開催されます「特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」と共に、是非お見逃し無く!

*来たる10/12(土)の14:00-15:30、サントリー美術館6Fホールに於いて、9/4開幕の「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」展(→https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2019_4/index.html)のスペシャトークイベント「美濃焼 過去 現在 未来」に、武者小路千家家元後嗣の千宗屋氏と登壇します。この企画はサントリー美術館メンバーズ・クラブ会員限定のイベントですので、ご参加されたい方は、これを機に是非メンバーに為られては如何でしょうか?お問い合わせは、サントリー美術館メンバーズ事務局(03-3479-8600)迄。

藤田美術館の公式サイト内「Art Talk」で、藤田清館長と対談しています。是非ご一読下さい(→http://fujita-museum.or.jp/topics/2018/12/17/351/)。

*僕が嘗て扱い、現在フリア美術館所蔵の名物茶壺「千種」に関する物語が、『「千種」物語 二つの海を渡った唐物茶壺」として本に為っています(→http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033551943&Action_id=121&Sza_id=E1)。非常に面白い、歴史を超えた茶壺の旅のお話を、是非ご一読下さい!(因みに、その「千種」に関する僕のダイアリーはこちら→http://d.hatena.ne.jp/art-alien/20090724/1248459874、今から思えば、これも藤田美術館旧蔵で有った…)

主婦と生活社の書籍「時間を、整える」(→http://www.shufu.co.jp/books/detail/978-4-391-64148-6)に、僕の「インターステラー理論」が取材されて居ます。ご興味のある方は御笑覧下さい。

*僕が一昨年出演した「プロフェッショナル 仕事の流儀」が、NHKオンデマンドで今月一杯視聴出来ます。見逃した方は是非(→https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017078195SA000/)!

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい。