Today is the best day in my life.

昨日のTVはMJの告別式一色だったが、その途中たまたまチャンネルを合わせると放映されていた、NBC「America's got talent」をジックリと観た。

この番組は老若男女年齢を問わず、自分の特技(歌、ダンス、曲芸、マジック等)を披露し、予選からラスベガスで行われる決勝大会、そして優勝すると100万ドル貰えるという、所謂タレント発掘番組である。

60過ぎのスーパーのレジのおばさんのタップダンス、10歳前後の子供6人のダンスチーム、無職のシガナイおっさんのカントリーソング、美人アシスタントが見守る中、チェーンソー3台をスイッチ入れたままお手玉するマッチョマン、こういった人達が決勝に駒を進める。そしてこの番組の特色は、3人の審査委員の他にも、会場の満員の観客の歓声とブーイングが審査員である点である。

さて、番組を観て不覚にも涙ぐんでしまったのだが(年を取ると涙腺が弱い・・)、それは何故か?

このTV番組には今の日本には無い大きな事象が2つある。一つは出演者が恥も外聞も無く、自分が勝手に「素晴しい才能」と思っている特技を、大観衆の前で臆面も無く披露できるという事。もう一つは、観客が予選通過した出演者と一緒に、時に本人以上に決勝進出を喜び祝福する所だ。

素晴しい「才能(タレント)」を発見しそれを共有できた喜び、それを持つ人への尊敬と祝福、日本人にもこういった行動・表現は可能かもしれないが、素直には出来ないのではないか。良いものは褒め、悪いものは貶す…当ったり前の事なのだが。このアメリカの胸襟を開く度量というか、クリアーさはちょっと羨ましい。こう云った事が、今では「死語の世界」入りしそうな「アメリカン・ドリーム」という言葉を、辛うじて「現世」に繋ぎ留めているのだろう。

さて、無職で仕方なく農場で「チキン・キャッチャー」(鶏を追いかけ捕まえ、首を絞める仕事)をしている中年男がステージに出て来た時、審査員のみならず満員観衆の誰が、この薄汚れた男がギター1本で、その魂の震動が聞こえる程の歌声を発するのを想像できただろうか。この男は勿論満場一致で決勝進出が決まった。彼のパフォーマンスが素晴しかったのは言うまでも無いが、実はそれ以上に素晴しかったのは、その後なのである。

彼は演奏後、大観衆のスタンディング・オベイションに、そして決勝に進んだ事に涙し、審査員も観衆も貰い泣きした。この様に、この番組は視聴者に数々の感動を与えてきたのだろうが、この番組の存在価値は実はそこではない。視聴者に感動・共感を与えるのは、「夢が叶った瞬間」と「誰かに賞賛された瞬間」に出演者が見せる、零れんばかりの「人生史上最高の笑顔」なのだ。

人は誰でも、人生で一度位は喝采を浴びたい。誰かに褒められたい。認められたい。差別・貧富の差の大きい国で、「負け犬」人生を送ってきたアメリカ人、移民達には、そのチャンスを手にする事は、100万ドル以上に価値があるに違いない。日本人の想像以上に「チャンスを与える」懐が深いアメリカを、この番組に垣間見る事が出来た。

「Today is the best day in my life」とは、チキンキャッチャーが会場を立ち去る時に泣き腫らした笑顔で、何度も何度も独り言の様に繰り返した言葉である(号泣)。