「外」を向いていた青春時代。

昨日は、午後から妻に付き添い、再び森美術館小谷元彦展へ。

この展覧は二度目なので(拙ダイアリー:「君は、『幽体の知覚』を持っているか?」参照)、当然当初の新鮮さは失われたものの、しかし「インフェルノ」等の作品の素晴らしさが、消える事はなかった。恐らく作品の基調となる「技術」が、確りとしているからかも知れない…益々将来が楽しみなアーティストである。

そして夜は、友人のタレントYちゃん、ゲル妻と3人で、青山に在る馴染みのシシリアン「D」でディナー。今年最終営業日の「D」は相変わらず超混雑で、当初予約が取れなかったのだが、何とか2時間のディナータイムを捻出してもらったのだ。久々の「D」は、ホロホロ鳥の前菜、桜えびや鰯のパスタ、カジキマグロや白金豚迄、流石に「全品」旨く、堪能して完食、シェフのI氏とも来年の再会を約し、店を出る。

その後、天現寺の信じられない位にバカ高いカフェで、ケーキとお茶をして暫し時間を潰すと、いざ飯倉片町のクラブ「S」へと向かった。

この夜の「S」では、学生時代はアメフトのスターQB、現在某超大手不動産会社の総務部長をしながら、母校のアメフト部の監督もしている長い友人であるTが久し振りに「回し」、懐かしい友人達も集うと云うので、駆けつけたのである。

カーティス・ブロウやレイ・パーカーJR.、シャラマーやチャス・ジャンケル等の懐かしい曲も然る事ながら、懐かしい顔の数々に驚く…あれから四半世紀、お互いの余りの変貌に最初判らなかったりした、本当に25年振りに会う昔のディスコ仲間も居て、嬉しいやら恥ずかしいやら(笑)。

そして暫くすると、最初はガラガラだったダンスフロアにも、DJ・Tに拠る、嘗てのバブル中年男女を煽りまくる選曲で、少しずつ人がフロアに出て来るのが見えた。

良いオトナとしては、今更感と恥ずかしさが強く、中々フロアに足が向かなかったのだが、しかし「数」さえ揃えば恐いものは無い…妻の嘲る様な視線の下、腹周りに付いた「贅肉」を揺らして「チャチャ」や「バンプ」等の、今では見るも恥ずかしい昔のダンスを踊るのも、それ程の恥辱ではなくなる(笑)。

しかし数曲踊ると、熱気と体力の衰えに因って直ぐに汗だくになり(笑)、足が縺れて退却…そんな事を繰り返しながらも、高校生でモデルをしていると云う娘の居る女友達や、インヴェストメント・バンクのファウンダーになった、学生時代には学校に全く行かない、単なる夜行性動物だった男友達等と話すと、一瞬の内に30年近い年月を遡ってしまうのだった。

さてこの孫一、今でこそ日本美術、歌舞伎だ、能だ、茶の湯だと「和」通ぶっているが何のその、中学に入る頃にはそれ迄の親の強烈な「和教育」が仇となり、すっかり「アメリカ万歳」少年になって居たのだが、しかし、青春時代にこう云った「寄り道」があってこそ、日本文化に傾倒する今の自分がいるのである。

やはり一度「外」を見てみないと、「内」が見えないのだなぁ、と感慨を新たにした年末の夜であった。

今日は、これから神田で蕎麦、谷中で除夜の鐘、再び神田で初詣の予定…久々の「日本の大晦日」である。
皆さん、良いお年を!