困難な、しかし余りにも美しかった「出張」。

昨日、オニの様な国内出張から、ニューヨークに戻った。

前回・前々回と此処で記した様に、VIPクライアントの招待に因り、筆者と妻はニューヨークとの時差2時間の有名リゾート地へと、日本から帰った翌日に向かった訳だが、その前段階の某地方都市へのフライトが8時間待った末にキャンセルになるわ、預けたトランクは紛失するわで、結局その日中に最終目的地には行けず、その某地方都市の「ホリディ・イン」で一泊する羽目に為った。

そしてその翌朝、某地方都市からプロペラ機で向かった最終目的地の、本当に小さな飛行場で我々を待っていたのは、紛失していた「トランク」…我が子との再会を果たした気分が、せめてもの救いで有った。

さて、その「最終目的地」は某地方都市から飛行機で50分、リゾート地として有名な風光明媚な所だが、勿論我々は初めての訪問…空気の美味しさ、山々の稜線と、空の青と雲の白、山の緑の原色のコントラストが余りに美しい場所である。

先ずは、空港に迎えに来てくれたホテルのシャトルに乗り込み、バウハウス風の部屋にチェックイン。リヴィングとベッドルームが仕切られ、中々に広く、窓の外は山と森しか見えない。暫くした後、クライアントの迎えの車でお宅へと向かう事に…道すがら、ストロー・ハットを被った親切なドライバーのトムさんに、この土地の歴史や気候等を色々と伺うと、トムさんがその昔8万ドルで買った家が今では100万ドル以上するそうで、此処数十年のこの土地のリゾートしての人気の度合いが窺える。

クライアントの家に着くと、それは非常にコンテンポラリーなお宅で、先ずはクライアント、そしてその御家族の皆さんとカジュアルなランチを頂く。が、家中にさり気無く飾ってある、現代美術の「オリジナル」大作・貴重作に眼を奪われっ放し…ウォーホル、リキテンスタイン、ウエッセルマン、ジャスパー等々…キッチンに掛かる作品等は油が飛ばないか心配だし、曲がり角に掛かる作品もぶつからないか心配至極だが、本人達は何も気に掛けて居ない。

このクライアントは、1960年代から、所謂「コンテンポラリー・マスターズ」のアーティスト達と深い親交を結んで、或る意味友人関係の産物としてこれらの作品を収集してきた。職業病で申し訳無いが、今のマーケットで計算すると、恐らく70億円では効かない大変な額に為るに違い無い。

ご家族との食事を終え、信じられない位に広大な敷地内に完成した「個人美術館」に向かい、クライアントと一緒に山道を下りる。

雄大な山脈をバックに草原の中に建つ、それ程大きくは無いミニマルな建物。この地方の山に見えるRed stoneを使用した外壁と、屋根全体を覆うソーラー・システム、そしてエントランス前に張られた水…全てがエコで、周囲の自然と素晴らしくマッチしていて感動モノだ。

中に入ると、シンプルなホワイト・ウォールだが、非常に考えられた作りの2階建ての展示スペースが広がり、研究施設としての活用も希望しているオーナーの希望通り図書室なども有り、その意図が垣間見れる。

オープニングの展示は、ジャスパー・ジョンズの版画作品。非常に重要な作品群を、初期から近作までクロノロジカルに展示されている。それもその筈、このクライアントは世界で2番目に大きいジャスパーの版画収集家で、因みにその上を行く唯一の収集家とは、「MOMA」(ニューヨーク近代美術館)である。

そのジャスパーとクライアントの微笑ましい逸話を聴かされたのだが、それはクライアントが余りの勉強熱心の余り、そしてジャスパー作品を愛する余りに、ジャスパーの絵画の「意味」を自分なりに研究し、それをジャスパーに30分以上掛けて告げた時の事だ。

クライアントが作家本人に対し、作品製作意図などの解説を終え、ジャスパーに「どうだ、ボクの考えは正しいか?」と聞くと、ジャスパーはほんの暫く考えた後微笑んで、「Yes, you're right!」とクライアントに告げたと云う。

この話には、アーティストとコレクターの美しい友情を感じない訳には行かない。アーティストの作品に対する思い入れは如何に有れども、作品が誰かの眼に留まると云う事は、「美の発見」に他ならないからで、それは、今の現代美術が「コンテクスト、コンテクスト」と叫び過ぎる余り、アートが人と人の間のみに介在し、その価値は彼らの眼による「美の発見」なのだと云う事が少々忘れられている事実を、この逸話は思い出させてくれるのだ。

夜のパーティ迄時間が有ったので、この美術館の設計建築家やクライアントの主治医達と、ドライヴがてら近くの山中に在るアーティスト村を訪ねると、其処では夏の間この土地で制作をしていると云う、著名窯元の日本人陶芸家、Nさんに会う事に。同じく陶芸家の娘さんを存じ上げていた事も有ってか、「Train窯」と云ったアメリカやデンマーク独特の窯や製作風景を見せて貰ったり、終いにはこの土地で作られた湯飲みまで頂戴してしまった…N先生、有難うございました!

時間も丁度良くなり、山中から美術館に戻るすがら、山特有の突然の雨に降られたが、そのお陰で何とも美しい大きな「虹」を観る事が出来たのだが、これで、此処までの「行き」の困難を少し忘れる事が出来たように思った…やはり「大自然」の力は偉大である。

パーティーは夕方5時半から開始…凡そ120人程の、クライアントと極く親しい人が集まった。

ジャズの生演奏の中、筆者にとっての少ない知人(ニューヨーク某超一流画廊AのM等)と語らいながら、飲み物を片手に改めて作品を鑑賞していると、合図が有りクライアントの挨拶。クライアントらしい非常に率直な飾り気の無いスピーチと、古い友人からの祝辞が終わると、ビュッフェ形式のディナーがスタート。

お腹も一杯になり、ちょっと外の空気を吸いに出てくると、陽が落ちるに連れ、館も其れを取り巻く大自然もその様相を変え、余りに美しく夕陽に染まった山々は徐々に漆黒の闇に包まれ、気が付くと、空には天の川や満天の星と三日月が浮かび我々を見下ろし、エントランス前に張られた水には、その三日月が仄かに揺れながら映っていた。余りに美しさと幸福感に、本当に苦労して来た甲斐が有った、と心から思ったものだ。

パーティーも終わりに近付き、素晴らしいホスト振りのクライアントとご家族に招待のお礼の挨拶をすると、クライアントの弁護士とタクシーに同乗しホテルへ帰還するが、余りの疲労の為、爆睡。そして昨日の朝は、肌寒く清々しい山の空気の中朝食を取り、ホテルを後にした。

地方都市へのプロペラ機を待つ小さな空港では、出発が20分遅延するとのアナウンス…またかと思ったが、結局40分遅れでやっと飛び立ち地方都市空港に着くと、我々を含めた乗り継ぎ客はニューヨーク便のゲート迄、「猛ダッシュ」。

何とか飛び乗ったが、その後はと云うと、驚くべき事にニューヨーク便は「定刻」にラガーディア空港に到着、トランクもトランジットの時間が無かったにも係らず素直に出て来て、迎えの車に倒れる様に乗り込んだ。

何とも苦労した出張で有ったが、本当に行った甲斐が有った…素晴らしい大自然、素晴らしいアート、そして我々を招待してくれた素晴らしいクライアントに大感謝である。

この3週間で9回飛行機に乗り、その飛行機のトラブルに翻弄され続けた我々は、流石にノック・ダウン。「Labor Day」の連休が、せめてもの救いである…。

そして、今週から「下見会」が始まる(涙)。