仏像VSブツゾウ。

今日は朝からNHKのテレビ番組、「クローズアップ現代」の取材だった。今日本では「仏像」ブームらしく、「今、何故仏像なのか?」というテーマらしい。

そこで、海外での日本の仏像の人気度、価値を取材したいとの事で取材を受けた。この取材の放映日は8月上旬らしいが、筆者の登場部分がどれ位使われるかは、勿論判らない。

海外仏像コレクターは、

1.仏像を宗教美術として見ているのか?

2.外国人コレクターは、仏像の管理をキチンとして(できて)いるのか?

等など色々質問されたが、答えはいつも同じで、

1.日本人がキリスト教彫刻(例えばミケランジェロ)を見て、「美術品」として尊敬の念を持ってスンバラシイと思えば、キリスト教の知識が無くてもそれで良い。何故ならば、もしその彫刻がスンバラシイのならば、それが宗教彫刻であるが故に、その作者の敬虔な宗教心が強く反映されている筈で、鑑賞者がその敬虔さを作品に見出すと同時に、作品のみならずその宗教に対してさえも、一種畏敬の念を持つからである、

2.日本美術品が日本にあっても、大事に保管されてない例はたくさん存在するし、世界何処にあっても大事にする人はするのだから、外国人だけを取り上げるのはおかしい、である。

今年重要文化財に指定された、真如苑蔵「伝運慶作木造大日如来坐像」を昨年3月に売却して以来、専門家でもないのに仏像に関するコメントばかり求められるのだが、東博「阿修羅展」や雑誌BRUTUSの「ブツゾウ特集」などの空前絶後の成功を耳にすると、成る程、日本は今当に「仏像」ブームなのであろう。さて、その理由は?と今日も問われたのだが、上手い答えが見出せない。

以前このダイアリーでも冗談めかして書いたが、世の中不穏・不景気になると人々は神仏に頼りたくなる。そして心の平穏を得る為に、東博に仏像を観に行く…そうかも知れない。でもそれならば、「何故興福寺に行かんのだ?興福寺に夜まで長い行列が出来たなんて、聞いた事も無い!」という疑問も強くある。が、もしかしたらこの答えは、BRUTUS誌がタイトルに使った「カタカナ」表記の「ブツゾウ」にあるかも知れないのだ。

唐突且つ個人的趣味で申し訳ないが、「蒼井優」と書くよりも「アオイユウ」と書いた方が、何となくイマっぽくて透明感がある(異論反論受けて立ちましょう…)様に感じないだろうか?この様に最近の、特に若者を中心とするこの「カタカナ変換」は、非常に斬新且つ特異な言語変換で、既存の漢字表記の言葉を「POP・透明化」させる力がある様に思うのだ。この「カタカナ変換」は筆者の浅薄な知識から言えば、SMAPの「夜空のムコウ」から世間に広まった様に思うのだが、どうだろう。この辺は読者のご教示を待ちたい。

要するに、「仏像」を「ブツゾウ」と表記する事によって、「古くて埃っぽく、薄汚れて暗ーいお堂に鎮座ましましている」仏像が、「ポップで、アニメのキャラっぽく、且つ何となくキッチュで、明るい所で見れば色も結構あったりして、顔もカワイイ!(もしくはキモイ!)」ブツゾウとしてPOP化され、より身近に感じられるという事なのだろう。

が、それにも況してBRUTUS誌がファンタスティックな所は、仏界や各尊像の美術史的解説をもシッカリと専門的に読者に伝える事によって、「ブツゾウ」を単なるフィギュアに貶めず、その上「マニア」をも満足させたという点で、ヒジョーに画期的であったのだ。付録の「ブツゾウ・カード」を使っての、「仏界大貧民」ゲームのルールを作った者の一人として、御礼を申し上げたい(面白いよー、このゲーム)。

東博は流石に、展覧会タイトルを「ASURA!!」とか「アシュラ!!」とは出来なかったが(京博は「JAKUCHU!」やったけど)、ミュージアムショップで販売した「阿修羅フィギュア」は、「1人3体まで」の制限付きでも見事完売したらしい。阿修羅展オープニングに出席した日本美術史家のM先生は、知り合いの現代美術館関係者に「貴方買ってないんだったら、私の為にあと3体買ってよ!」と言われて、仕方なく買って上げたそうである。

仏像がフィギュア扱いされても、仏教や日本文化の勉強の入口になればそれで良いが、「美術品」という観点からも余りに遠く離れてしまい、単なる「フィギュア」としてしか人々が見なくなってしまった時には、天罰が下るかも知れない(笑)。

「仏像」はもう古い…「ブツゾウ」時代の到来なのである。