ピンナップされた「愛しの女神さま」。

「愛しの女神様」と云っても、蒼井優の事ではない(笑)。

しかしこれだけ想っているのだから、優ちゃんにはいつか会えるに違いない。と思う…祈るしかない。そう、今日のダイアリーは「祈り」の話。

さて筆者のオフィスには、自分用のデスクに椅子、また打ち合わせ用のデスクと椅子2脚があり、入って右側の壁一面が本棚で、左側の空いた壁には、友人の稲田美織氏撮影「心御柱覆屋」(しんのみはしらのおおいや)の額装写真作品が掛かっている。

この作品は稲田氏が「神宮」(伊勢)から依頼された、2013年に行われる20年に1度の「式年遷宮」の連作ドキュメント写真の一つである。眩しい程緑の深い森を背景に、石河原の上に建つ超ミニマルな小屋。この場所こそ次の宮が建つ神聖なる予定地(「古殿地」と呼ぶ)で、その最も重要な「柱」がこの小屋に守られている。誠に美しく清清しい写真で、日々汚れきった美術業界での精神的垢を落としてくれる、非常に「気」の良い有難い作品だ。

本題に戻ろう。さて自分のデスクの前には、幾つかのピンナップ写真が貼ってあるのだが、まず「那智瀧」、これは筆者が家族旅行で熊野に行った時に撮った写真。次は富士山、これもある時期、素晴しいコレクションを持っていらしたお客様が居た関係で通い詰めていた、静岡県三島のとあるホテルの窓から撮った。そして前回のオークションで売却した、「春日宮曼荼羅図」。

この様に、孫一オフィスには神道的なモノが数多くあるのだが、さて愈愈タイトルの「愛しの女神さま」の登場である。

「女神」は「メガミ」と読んではいけない。「メシン」と読む(「ニョシン」とか「メガミ」とか読む人もいるが)。筆者の「愛しの女神さま」とは、「木造女神坐像」の事で、「神像」と呼ばれる彫刻(男神・女神像がある)の女神像の事だ。

この「神像」であるが、古来日本の神道は、実は長い間偶像崇拝を禁じてきた。何故ならば、神は自然の森羅万象、霊木や鏡に宿るとアニミズム的に考えられて来たからである。しかし仏教が日本に伝来・普及するに連れ、神道の影響力が減ずる事態となり、9−10世紀頃になると、神道信仰者は仏教と共に渡来して来た「仏像」に倣い、「神像」を作り始める。

がしかし、神道には仏教の様にその表現に儀軌(図像等の決まり事)が無い為に、非常に個性的な、例えば或る時は村の長老の顔に、或いは母親の姿等、身近な人々を模した神像が造られたのである。

神像は厳しい面持の作品も多いが、この女神像は僅かに微笑んでいる様に見え、その静かな佇まい、全てを許すような暖かさは筆者を魅了して止まない。実物を触ってみると、通常の神像よりは硬質の木材が使われている様で、学者の意見によると11世紀頃の作との事。

果てさて、初めてこの女神像を見たのは、ある日仕事で東京の某古美術商を尋ねた時。店の主人がそう云えば、という感じで見せてくれたのだが、その時の感動は今でも忘れられない。そしてその後、どうしても「彼女」のお顔、佇まいが忘れられず、何度もお店を尋ねては見せて頂いていた。

欲しくて欲しくて仕方なく、夢にまで観た程だったが、自分にとってはかなり高額だったので、「買った!」とはとても云えず、結局考えた末主人に写真をお願いし、NYに持ち帰ってデスク前に「彼女」をピンナップする事にした。そして日々「彼女」のお姿を拝見しては、会社や同僚、客や自分へのイライラを納めていたのである。

その後何の奇跡か、さては余りに筆者が通い詰めたからであろうか、主人の余りにも寛大なお心で、この女神像を筆者に譲って頂ける事になった。支払いの方は(当然)天文学的回数の分割払いをお許し頂き、未だ道半ばではある。

それでも東京に帰り、支払いの為にお店を訪れる度毎に「彼女」と会う事が出来るというのは、まるで「遠恋」の様な「遠距離骨董買い」の幸せな所と云えるだろう。

レイバー・デイ連休前にも係わらず、今日も遅くまでカタログ校正をしているのだが、この誰も人の居なくなったオフィスでは「ピンナップされた女神さま」のその優しい微笑だけが、己の疲れを癒してくれる気がするのであった。

因みに筆者は、誠に僭越では在るが、この未だ手元に来ない「愛しの女神像」を、「蒼井優姫命」(アオイユウヒメノミコト)とは決して呼ばずに、「万葉姫命」(マヨヒメノミコト)と畏怖と尊敬、そして「祈り」を込めて呼ばせて頂いている。