私にとっての「9.11」(後編)。

昨日は下見会終了後、NY武者小路千家「随縁会」の依頼で、一時間ほど掛けて10名強の皆さんに、お茶道具を中心としたオークション出品作品のレクチャーを行った。

「随縁会」は、昨年から今年に掛けて文化庁の交流大使としてNYに1年間の滞在をされた、武者小路千家家元後嗣の千宗屋氏が創設された会である。NY在住のアーティストやギャラリー関係者、会社員、ファッション業界関係者、ギタリスト等多岐に渡る生徒さんが、この会でお茶を学ばれている。

レクチャーの時も、皆さん非常に熱心で、オークションの下見会ならではの「手に取って観る」楽しみを堪能された様であった。こう云ったレクチャーは、する方も楽しく話が長くなる。その後はアーティストMさん(彼女は裏千家の筈だが)の帰国送別会で、当社裏の有名四川料理店でスパイシー料理を味わった。

さて8年前の「9・11」の後編である。

3時間以上サテライト駐の機内に監禁された末、為された驚くべき機長の最終アナウンスは、「ここでANAの航程は終了します。」であった。テロ発生時の法律が有るとは言え、要は我々は放り出されたのだ。

そしてジャンボ機に満員の、途方に暮れる乗客乗員およそ360名は、有無をも言わさずデトロイトで米国入国、待機していたバスに分乗させられ、2つのホテル(というか、コンベンション・センターの様な宿泊施設)に送られた。何れにせよ非常事態宣言下なので、レンタカーは全て出払い、当然アムトラックや飛行機、バスも動かなかったので、泊る所があったのは不幸中の幸いであった(これはANAに感謝)。

だが筆者が含まれた方のグループには、何と一人もANAの関係者が含まれておらず、乗客のみ180名程が、到着した施設のロビーで途方に暮れた。そこで我々は初めてロビーのTV画面に、「あの」衝撃映像を観たのである。暫し全員沈黙、画面ではブッシュが「戦争宣言」をしており、泣き出す老人の乗客もいた。

その後カウンターでチェックインが始まったが、何しろ英語の出来ないツアーの旅行者が多く、遅々として進まない。痺れを切らせた筆者を含む英語のできる数名が、通訳を買って出て事態の収拾を計ったが、これが酷い見当違いだった。何故なら、英語が出来なくて困っていた日本人観光客たちが、一斉に通訳(を買って出た乗客)に対し、散々注文を付け始めたからである。例えば「エキストラベッドは嫌だと云え」「4人一緒の部屋で無いと困る」等、我侭言いたい放題なのである。

何たる国民性!!非常事態だと云うのに、しかも英語も喋れん癖に、甘えるにも程が有る!!怒りを堪えながらも、全員をチェックインさせたのは何と6時間後で、我々英語チームはもうヘトヘトであった。

チェックインを終えた頃やっと電話が通じ、日本の両親と連絡が取れた。母は泣いており、父は大喜びだった。日本でも情報は錯綜していた様で、どんな飛行機が何機ハイジャックされているのか、判らなかったらしい。

その晩の夕食は、宴会場の様な部屋で囚人の様にトレイを持ち、列を作って固いパンとスープ等を貰い、用意された10人掛けの丸テーブルに各々着席する。が、流石にお通夜の様な雰囲気で、誰も喋らない。「大変な事態に遭ってしまいましたが、同じ飛行機に乗り、同じテーブルに座ったのも何かの縁、自己紹介位しませんか?」と筆者が言うと、一斉に皆重い口を開き、場がほんの少し明るくなった。

同テーブルには、偶然乗客の中に見つけた、DC在住の日本絵画修復家のI氏、タカラジェンヌ2人(!)とそのパトロンのおばさま、証券マン、10KGのお米を土産に担いで、NYの孫を訪ねてきたお婆さんとその友達など、多彩な顔ぶれ。危機状況下では人間の結束力が強まると言うのは本当で、この内筆者やタカラジェンヌを含めた何人かは、その後数年間帰国の度に飲み会を催していた程だったが、今年の追悼式の様に「過去の記憶」は徐々に風化し、この飲み会も何時の間にか無くなってしまったのは実に残念である。

2日間ホテルに拘束された後、ANAがNYまでバスを出すと言う。都合10人程が手を挙げ、その中にはNY在住でない強者観光者も居て驚いたが、夜6時にデトロイトを出発。到着寸前のマンハッタン対岸、ニュージャージーから見たグラウンド・ゼロは未だ煙に塗れ、色々な物が燃える匂いもきつく、テロの大きさ・恐ろしさを感じさせた。そして殆ど眠れぬまま、13時間掛けて翌朝6時半頃NYに帰還したのだった。

その後数週間は、NY市街上空を戦闘機が飛び交い、市民はサイレンやジェットの音を聞くたびに戦き、がしかし会社は丁度今の様に「エイジアン・ウイーク」だった為、オークション強行を指示したが(「アメリカとニューヨークは、絶対にテロには屈しない」が理由だった・・嘆)、結局我々の猛反対で一ヶ月延期された。その数日後には、今度は筆者の勤務するロックフェラーセンターで、「炭疽菌テロ」が起き大パニックになるのだが、それはまた別の話である。

8年経った今でも「ビン・ラディン」は捕まらず、「1WTC」は完成の予定が無い。これがアメリカの一現実である事は誰も否定できない。