テロと「アランフェス協奏曲」。

昨日は下見会後、友人のコレクター夫妻C&Rと待ち合わせて「TABLA」でディナーをした。

隣の「ELEVEN MADISON」には、特に才能溢れるカナダ人シェフに代わってからは何回か行っているのだが、こちらは初めて。結果から云うと、かなり美味しかった!インド・ベースだが意外に食べ易く、特に前菜として出てくるチーズ・ブレッド(ピッツァの様な物)やコーンの入ったサモサ、肉も魚も美味しかった。Rは政権奪取した民主党政権や、川瀬巴水の屏風の話題でご機嫌であったが、実はそれよりも、今回のオークションに出ている楽茶碗を買う気満々で、ちょっと興奮気味でもあった。こちらとしても嬉しい限りである。

そんなこんなで昨晩は結構遅く寝たのだが、今朝も老人の様に早く起きてしまい、音楽でも聴こうと、現在日本で活躍中のクラシック・ギタリスト、益田正洋君の新譜「ヴィラ・ロボス作品集」を探し出したのだが、その隣に一枚のCDを偶然見つけた。そのCDは益田君に焼いて貰った物で、表には「2001年10月11日・ジュリアード・シアター」と記してある。早速聞いてみると、とある記憶が鮮明に蘇って来た。

ここ何日か「9・11」の事を長々と書いて来たが、話はその丁度一月後の事である。

当時益田君はジュリアード音楽院のギターのマスター・コースに入学したばかりだったのだが、そもそも彼との出会いは、筆者の高校時代の音楽のT先生の紹介であった。筆者はこう見えても3歳からピアノを習い、その後バンドやジャズを齧っていて、高校時代はピアノに手を触れない日は無い位の「下手の横好き」であった。

そして浪人時代、予備校のお金をディスコで使い込み(笑)、行く宛の無い昼の時間、母校の音楽室でT先生と過ごしたりしていた。先生は「孫一、勉強とかでイライラしたら、何時でもピアノ弾きに来ていいぞ」と云って下さった、所謂青春時代の「心の恩師」である。勉強もせず、尖った気持ちをピアノにぶつけに来ると、先生はニッコリ笑って、何時も美味しいコーヒーを入れてくれ、まぁ一服と煙草を勧めてくれたりした(時効成立…)。

長くなったが、そのT先生と益田君のご両親が同郷で、彼のジュリアード留学が決まった時に「たまに飯でも食わせてやってくれ」と紹介されたのが、益田君との縁の始まり。益田君は今でもそうだが、小柄で、がしかし大飯食らいなので、ご馳走のし甲斐があったものだ。

さて益田君もNYに来ていきなりテロに遭遇、さぞかし生活に不安もあっただろうが、そこは流石世界の「ジュリアード」、数日休んだだけで授業は再開され、テロから丁度一ヶ月後の10月11日には、益田君のジュリアード生としてのデビュー・リサイタルが、ジュリアード・シアターで行われたのであった。

この日のコンサートはジュリアード・シンフォニーの定期公演で、指揮者は名声高い黒人マエストロ、ジェームス・デプリースト、益田君は2曲目の超有名曲、ロドリーゴ作「アランフェス協奏曲」にゲスト・ソロ・ミュージシャンとして登場する。

会場は何しろテロ直後なので満員とは云えないが、しかし7割方の観客で埋まり、会場にはそこはかとなく「悲しみの静寂」が漂っていた。さてコンサートが始まり、最初の曲はウイリアムシューマンの現代曲「Prayer in Time of War」。テロがあった直後なので、もしかしたら急遽この曲に変更されたのではと思う程出来が悪く、正直かなりがっかりした。弦もバラバラで纏まりが無く、指揮者もさぞ困ったのではないだろうか。

さて愈々益田君の登場する「アランフェス」である。

ステージに登場した彼は緊張気味だったが、第一楽章は弦も最初の演目とは打って変って落ち着いた様で、完璧な立ち上がりに思えた。そしてお待ち兼ねの、数多いクラシック・ギター曲中、最も有名且つ美しい旋律を持つとも云える、第2楽章「アダージョ」が始まる。

この第2楽章は作者ロドリーゴの、病に倒れた妻や、亡くした子供に対する祈りが込められていると聞くが、この日の演奏の何と云う切ない旋律、益田君の演奏だったのだろう!この第二楽章のほぼ始まりの部分から、会場の至る所から啜り泣きが聞こえ始め、その人々の啜り泣く僅かな音が振幅し、テロによって心身共に傷ついたNYの聴衆に新たな悲しみを誘った。

あんなに切ないクラシックの演奏を聴いたのは、筆者も生涯初めてで、今思い返しても涙が出そうになる程である。益田君とジュリアード・オーケストラ、そして聴衆の三者が、恐らく「喪と祈り」と呼ぶべき感情をしっかりと共有した時間で、悲しくも素晴しい演奏であった。

第3楽章は打って変って明るい雰囲気。「希望」と呼ぶに相応しい演奏で、益田君は「アランフェス」を締め括った。そして涙を拭う聴衆のスタンディング・オベイションによるカーテン・コールは6度を数え、最後はベートーベンの「田園」をジュリアード・オーケストラが完璧に演奏し、この日のリサイタルは終了した。テロからたったの一月の未だ厳戒態勢の取れないNYでの、未完成ではあるがその限りない可能性を感じさせる「世界レベル」の学生達の演奏は、どれほど当時のテロの恐怖に怯えた私たちに勇気を与えてくれた事か・・・。

音楽の力は偉大であり、絶大である。