「TAMANGO」再び!

一昨日はオークション無事終了後、夜は我が日本・韓国美術部門の打ち上げでミッドタウン・イーストの「SOBA TOTTO」に行って食べていたら、もう直ぐ一時帰国し来年からはベルリン滞在のアーティスト、K君が「孫一さん、何してるんですか!?」と登場。聞けば、隣の個室で仲間と食事をしていると言う。覗いて見たら、他にもT君、E君等のアーティスト達の顔が。偶然であった。

その後は古美術商Y氏、東京の同僚M君とカラオケを大熱唱。Y氏も筆者も、「EXILE」や「レミオロメン」を頑張って歌い若作りに励んだが、結局最後は、お互い吉幾三の「酒よ」と「雪国」に最も力が入ると言うお粗末な、しかし納得できる結果に終わった。帰宅は2時半。

昨日は以前から約束していた、アジア・ソサエティーの現代美術担当キュレーターのTさん、アーティストのSさんとの「USHIWAKAMARU」にてお寿司ディナー。Tさんとは、もう何年もNYのアート・シーンの至る所でお会いしており、地獄宮殿のバースデーにも来て頂いているのだが、何と食事をご一緒するのは始めて。「何でだろう?」とお互い笑いあった。Sさんとは、勿論彼女の作品は存じ上げていたが、その地獄宮殿パーティーの際Tさんに初めて紹介され、今回の食事と相成った。Sさんのシグナチャー・アートである「セルフ・ポートレイト」誕生秘話や、「変装」の醍醐味等、興味津々のお話を伺う事が出来た。

さて楽しい食事の後は、昨晩のメイン・イベントである筆者大好物の天才ヘイシアン(ハイチ人)・タップダンサー、「TAMANGO」のライヴ。3人で急いでタクシーに乗り込み、イースト・ヴィレッジの「DROM」へと急ぐ。以前このダイアリーにも記したが、このTAMANGOというタップ・ダンサーは只のタップ・ダンサーではない。歌も歌い、モダンダンスもし、パーカッションもこなす。

が、やはり彼独特の「タップーダンスー演劇」とトランスフォームして行くアートは、筆者は他に例を知らない。彼は筆者の、専門外ではあるが40云年の人生で観た能、歌舞伎、舞踏、モダンダンス、演劇等の如何なるパフォーマーの中でも最高の一人なのである。

道が異常に混んでおり、遅れてDROMに着くと彼のパフォーマンスは既に始まっていた。先に着いていた妻と、建築家のS氏が手を振って我々を迎え、席に着き早速舞台に集中する。この日のTAMANGOの出で立ちは、上半身裸にズボン、裸足に黒のタップ・シューズ。そして頭には鳥の羽が三本立っていた。妻によると我々の到着前には、彼はハイチの歌を歌い、ダンスを踊り太鼓を叩いたそうだが、今日のテーマは成る程「カリブ」らしい。そうこう話していたら、次の演目が始まった。

バックにはジャズ・ギターと、KAORU WATANABEのフルートが静かに流れ、そしてTAMANGOが徐にリズムを取り始める。これも恐らくカリブ系のパーカッショニストは、TAMANGOの足だけを観、そして彼の足が作り出す音を忠実にパーカションで再現するという、インプロヴィゼイションである。

複雑なタップのリズムが刻まれ、徐々にTAMANGOも乗ってくる。手や体が震え、裸の胸の筋肉が踊り、これがリズムの激しさと複雑さを物語る。時折洩れる彼の息や掛け声、部族的動きとダンス。前回観た、ジャージー且つ洗練されたパフォーマンスとは正反対だが、今回も本当に凄かった。S氏とも同意したのだが、このTAMANGOというアーティストは、実は何をやっても「TAMANGO」というアートになる。ここがスゴイのだ。

途中で日本人女性タップ・ダンサーとの共演曲があったのだが、彼女も「技術」は有るとは思うが、残念ながら「精神」がない。この「精神」はそのアートに賭ける命の、止められない湧出する「薫り」である。TAMANGOのアートはその薫りに満ち溢れ、観客をどこまでも彼の世界に留め置き、そして驚くべき畏敬の念を抱かせる。それは「技術」を通り越した、単なるパフォーマーとしてのみでは無い、全く新しい形のアートとしての「TAMANGO」と云った方が良く、彼のアートは「芸術の神は確かに存在する」と観客に本気で思わせる力があるのだ。

その後は、フランス語での詩(もしくはブードゥー系の呪文か)の朗読の様なパフォーマンス、KAORUの太鼓とのセッション等が続き、その全てが斬新であった。観ていた我々は大満足で、こういった驚くべきアーティストや、才能を見つけられる空間が無数にあるNYは本当に素晴しい、と溜息を吐くのだった。

DROMを出た後は、S氏と妻とラーメンを探しに行ったが、IPPUDOもSETAGAYAも既にクローズ。NYのラーメン屋は閉まるのが早い。アートが素晴しいNYも、これはイケナイ。

結局セント・マークス・プレイスの「GO」に落ち着き、今一のラーメンと数多の話で3時まで盛り上がったのだが、そこで仕事帰りの「KYOYA」のシェフS氏にバッタリ会ったりもして、最後の最後まで非常に濃い一日であった。