日本・韓国美術セール無事終了、或いはDR.Kの「茶の心」。

今日の午前中、秋の「エイジアン・ウイーク」の締め括りとしての、筆者担当「日本・韓国美術オークション」が有り、無事終了した。

結果は、こういった経済状況の中では非常に健闘したと言える。最高値を付けた作品は、以前此処でも紹介した唐物茶壷銘「千種」で、落札価格は66万2500ドルだった。出来高は凡そ290万ドルで、前回の様に「武具甲冑」を含んでいなかったにも係わらず、前回今年3月の売り上げの1.5倍あり、落札率も高かった。これでマーケットに、少し光が見えたかも知れない。何しろお茶道具のセクションが非常に良く売れて、数点を除いては全て外国人の落札である。因みに「千種」は、アメリカ某有名美術館に嫁入りした。筆者も鼻が高い。

この茶道具の中でも楽茶碗代々が外人に大人気で、欧米(日本は約一名)至る所から問い合わせやビッドがあったのだが、結果を見れば驚く事に、楽茶碗は全て日本人以外のバイヤーに依る落札であった。

その中にスイスから態々、楽茶碗を買う為だけに来たお医者さんがいた。この人はDR.Kと云い、年の頃60代、母国からJFKに到着後下見会に直行し、都合4日間通い詰めで全作品を手に取り、触っては眺めして一日を下見会場で過ごしていた。今回は筆者の妻が、下見会で作品を見せる仕事(「VIEWING LADY」と云う)をしていたのだが、筆者のみならず彼女にも毎日質問攻めで、しかしそれは我々にとっては決して「面倒臭い」訳ではなく、「この人は本当に好きで、欲しいのだな」と素直に感じさせる様な人なのであった。

そんな事で、下見会中のある日、我々はこのDR.Kにお茶を一服差し上げようと企画した。今回のこのお茶道具コレクションの出品者は、「全出品作品を使って、お茶をして宜しい」という許可を与えてくれていたので、この機会を逃す手は無い。DR.K、利休茶杓とその箱に感動したNY TIMESの女性記者、そして偶々其処に来ていた友人で、ファッション・デザインをPARSONSで教えながら、本人も裏千家でお茶を習っている、ゲイのベトナム人デザイナーの3人を客に、妻が略式点前ではあるが、お茶を差し上げた。

今回下見会場には、四畳半の畳をステップの上に敷き、壁には玉舟宗璠の一行書を掛け、普段は「千種」を展示し茶室の雰囲気を出してみたのだが、実際に簡単な「お茶」も出来るようにしている。筆者に飲む時の作法を教わりながら、ちょっと震える手でお茶を飲むDR.K。

お気に入りの、そして自分の物になるかも知れない茶碗で飲むお茶は格別だったらしく、飲み終えると深くお辞儀をして満足そうに微笑んでいた。日本人である我々は、そんなDR.Kの姿を見て嬉しくも誇らしくも有ったのだが、それ以上に彼の「お茶」や「茶碗」に対する真摯な姿勢と情熱、そして彼の礼節に「お茶の心」を見た気がした。

結局DR.Kは、オークションでは希望作品全てに、エスティメイトの倍の価格まで手を挙げたのだが、結局買えたのは1点のみ。オークション終了後、彼は筆者の所に来て残念そうに、でも「一つ良い物が手に入って良かった。それと、美味しいお茶を有難う」と微笑んで、スイスへ帰って行った。

DR.Kの様に外国人で、お茶も習った事も無く、がしかしお茶の精神と茶碗に惹かれて、海を渡って買いに来る人は彼一人ではない。確かに今回の「茶道具」のセール結果は、日本の相場からすると、また特に業者価格からすると馬鹿馬鹿しい位高かったかも知れないが、それは単に「相場」の話に過ぎず、「好きである」とか「所持したい」という気持ちは、実はそれでは計り知れない。

何故ならば、欧米の美術館や個人コレクターは、ある種日本など比べ物にならない位、「買い物」に対してシビアであり、「自分が」価値を見出さないモノに高い金は決して支払わないからだ。それを考えると、「茶道具」が、そして「茶の心」がこれ程外国人に感銘を与えるという事を、日本人は今一度誇りに思い、考える必要があろう。

今回のセールは「お茶」に尽きる。今年は筆者もお茶の「ご縁」(DR.Kと買えた茶碗も正に「縁」そのものだろう)で色々と勉強させて頂きました。

さあ次は「サムライ」、今年ももう一踏ん張り・・・である。