最後はやはり、「男の執心」。

今成田のラウンジでこのダイアリーをアップしている。昨日は日本滞在最後の日だったので、何をしようかと考えたが、結局再びお能を観る事にした。

この前観たのは、観世流銕仙会であったが、昨日は喜多流「粟谷能の会」@国立能楽堂。時間の関係で、四番組の内の最初の二番、「通小町」と「葛城」のみを拝見した。前回と異なり、今回の番組は「怨みつらみ」満載である(笑)。

さて先ずは「通小町」。「小町」とは云うまでも無く「小野小町」の事だが、シテは小町では無く、小町の元に「百夜通い」した「深草少将の怨霊」である。小町の亡霊を、読経に依って成仏させようとするのを妨げる、少将の怨霊。

百夜通っても小町と契る事が出来なかった男の執念はスゴい。「煩悩の犬となって、打たるとも離れじ」と食い下がるシテの台詞で判る様に、他流に比べ剛直な喜多流ですら、「シテは月を観ても、雨を観ても『恨みの心』がないといけない」と教え、「逃げられている女を、何処までも追い掛ける、奈落の底まで追って行き、離れない」(スゴイね・・・)と云う演技を「流儀の主張」としている程だ。最終的には、深草少将は「飲酒戒」を守ったとの理由で、小町共成仏する。恋する貴公子の執着、恐るべしである。

この能で一番感心したのは、ワキの僧を勤めた宝生閑氏。

流石人間国宝、と云えば簡単だが、この人が居るだけで何時も舞台がギュッと締まるからスゴい。今回当日券の席が中正面だった事もあり、氏の表情や佇まいが良く観れたのだが、「傍観者」が此処まで存在感を示すのは、驚くべき事である。

一点個人的に残念だったのは地謡で、これは数日前に銕仙会を観たからかも知れないが、謡の頭が合わずバラバラで、調子も弱い。喜多流はこんな感じなのだろうか。ご教授を待ちたい。

時間が無くなってきたので、「葛城」については又いずれ。次回からは「ニューヨーク・アート・ダイアリー」に戻るが、今週も既に話題満載、乞うご期待である…。

SEE YOU IN NEW YORK!