THIS IS IT.

マイケル・ジャクソンの、実現しなかったラスト・ツアーのリハーサル・ドキュメント・フィルム、「THIS IS IT」を観た。

このMJのドキュメントは筆者の想像を遥かに超え、上映時間の「2時間」は、筆者に涙させ、笑わせ、感動させ、楽しませ、そして改めて彼に対しての畏敬の念を抱かせるには、余りに充分過ぎる時間であった。見終わった今断言するが、マイケルは「神」である。もし云い過ぎだ、という人が居るならば、「菩薩」と言い換えても良い。

それでも実は、この非常に良く出来たドキュメント・フィルムを語るには、何とももどかしく、旨く言葉が出て来ないのだが、唯一云える事は「如何なる芸術の分野に於いても、今後こんなアーティストが現れる事が有るのだろうか?」と云う事である。

またそれと同時に、MJがジャクソン・ファイブから独立し、初のソロ・アルバム「Off the Wall」を出した1979年から、「リアル・タイム」で何千回、いや何万回も彼の曲を聴き、掛け、踊り、PVとステージを観て来た筆者、を含めた世界何億(何十億か?)の人間の内、マドンナが今年のMTVアワードのスピーチで語った様に、彼の整形による外見上の変化や奇行を以ってして彼を「イロモノ」として扱い、彼のアーティストしての資質や才能に「一度でも」疑念や軽蔑の念を持った事の有る者は、このフィルムを観て「必ず」後悔する事に為るだろう。何故なら、筆者も正にそうであったのだから…。

日曜日、マラソンを避けてチェルシーの映画館のシートに座り本編が始まる迄は、筆者を含めた観客の殆ど全てが、ある種「高を括ってた」筈だ。

しかし、本編が始まりドキュメントが進むに連れ、恐らくリハーサル風景でしか観る事のできない、マイケルの何とも飾り気の無い人柄や、50歳とはとても思えない歌唱力とダンス、そして何よりも、当然知っていた筈の彼の「アーティストとしての才能」と完璧主義者的「求道者の姿」に、観客は「改めて」驚愕し、宗教的とも云える畏怖の念を持ち始める。そしてその後観客は、マイケルが一曲ずつリハーサルを終える度に、スクリーン中の彼に惜しみ無い拍手と喝采を、送り続けたのだった。

「最後のツアー」の為の、プリンシパル・ステージ・ダンサーのオーディション風景から始まるこのドキュメンタリーでは、そのMJの超一流の才能の周りに「宿命的に」集う才能達の邂逅も、観客は感動を以って味わう事が出来る。

ダンサー、ミュージシャン(その中でも特筆すべきは、若手女性ギタリストOrianthi Panagaris)、ステージ・スタッフ、皆当然「超一流」で有るのだが、この「超一流」の意味は、「名声」や「認知度」等の表層的な事では決して無く、純粋に「才能」で有る所がスゴイ所で、この真の才能が集まって産み出す音楽(というか、もう「芸術」である)は、その「産み出している最中である」「リハーサル」に於いてこそ、余りにも真剣で神々しい。超一流のアートは、超一流の才能・アーティストが、超一流の技術、経験と努力を用い、その才能を「リハーサルで、揉みに揉む事によって産まれる」と云う事が、このドキュメントでハッキリと知る事が出来るのだ。

ドキュメント中、涙が溢れて止まらなかった箇所が有って(またか、孫一!:笑)、それは2曲のバラード、「I'll Be There」と「I Just Can't Stop Loving You」のリハーサル風景である。この曲を歌うマイケルを観れば、彼がどんな人間で、どんな心を持っているかを一瞬の内に知る事ができ、その余りの優しさに心を打たれる。

そして彼の、その広大な「人間」「自然」「芸術」に対する「愛」と「優しさ」は、何か「菩薩」の様でも有り、彼が良く呼ばれる「KING OF POP」や筆者が嘗て付けた「KING OF STAGE」(拙ダイアリー「マイケルは本当に死んだのか」参照)等と云った、「ちっぽけな称号」をあっさりと反故にした上で、真の意味での「世界遺産」と呼ぶべき、崇高なアーティストの持つ「才能」として、何時迄も人類の記憶に残るであろう。

このドキュメント・フィルムは、云う迄も無く本年度最高の芸術作品で、このMJの前ではベーコンも、玉三郎も、ジュード・ロウも、皆翳んでしまう。なので、どんな分野のアーティスト、アート関係者にも是非観て頂きたい。

本物の「アート」と云う、「魂」の響きを忘れない為に。