OPEN TELEVISION:1960−70年代日米のビデオ・アート。

昨日はジャパン・ソサエティーで開催された、1960−70年代の日米のビデオ・アートを紹介するプログラム、「VITAL SIGNALS:Japanese and American Video Art from the 1960s and 70s」に行って来た。

着いてみると、ジャパン・ソサエティの会場は、本当に人が少なくて寂しかったが、現代美術の下見会でもバッタリ会った、NYUで写真史博士課程在籍中のT大のK君が居たのには、またまたビックリ。言い訳がましく最初に言って置くが、筆者はビデオ・アートに関しては全くの「門外漢」なので、今日のダイアリーに間違い等が有っても、何卒お許し頂きたい。イヤ、それでも孫一、充分堪能して来ました。

さてこのプログラムは「アーティスト・トーク」を含めての終日開催で、しかし筆者は時間の関係上、第一部の「Open Television」しか見れなかったのだが、何しろ非常に面白かった。この2時間に渡るプログラムは、短編ビデオ・アート計12作品を包括しており、ナム・ジュン・パイクやクリス・バーデン、水俣病被害者のドキュメント等バラエティに富んでいる。時代が時代だけに画像や音声が悪い作品も有るが、余り気にならない。それはやはり、テーマの多様性のせいだろう。

面白いのは、この時代の日米の作品を比べた時の、そのテーマの違いである。ハッキリ云って日本作品の方が、重くて暗い作品が多い。1971年の中谷芙二子制作、前記水俣病被害者のドキュメント「Friends of Minamata Victims(邦題:水俣病を告発する会ーテント村ビデオ日記)」は、ハンディ・ビデオ(と云っても巨大な物だが)が世の中に初登場した時の作品で、出て来る学生たちも皆同じ髪型で長髪、毎朝準備体操やうさぎ跳びで体を鍛えつつ(笑)、チッソ本社ビルの前で座り込み撮影を続ける様など、重いテーマでは有るが、時代風俗も結構楽しめる。

また「Under Bridge(邦題:橋の下)」(1974年)は、恐らく日本最初の「ホームレス」を映したドキュメント作品と思うが、この作品中、老人のホームレスが撮影者に向かって、怒鳴りながら自身の戦争体験を話すシーンが有る。そのシーンに因って、日本に於ける「74年」と言う時代は、まだ充分に「戦後」を引きずっていたのだ、と云う事実を再確認する事が出来、その表現の手法も非常に新鮮であった。また松本俊夫の映画「薔薇の葬列」からの、土方巽の舞踏シーンの抜粋短編ビデオ作品「MAGNETIC SCRAMBLE」も興味深かったが、嘗て遠い昔に観た「ピーター」初お目見えの「映画」の方を、今一度観ねばなるまい・・。

それに引換え、アメリカ作品は明るい。例えばクリス・バーデンの「The TV Commercials 1973−1977」(1973−77/2000年制作)は、アーティスト本人がテレビ放送のCM枠を使い、自分のCMを作って流すと云うスゴイ企画で、非常に面白かった。

最初は「フリップ」に自分の名前、誕生日、個人情報を書いて見せるだけだが、年を追うに連れて作家本人も画面に登場、年間の収入と支出をフリップに書き、最後に年間純収益(たったの1,000ドル)を見せて、「世界初の、アーティストの年間収支公開」として終わる。何ともスゴイ「アート」である(笑)!また「Four More Years」は、ニクソン大統領再選時の選挙戦とベトナム反戦活動をコラージュしての風刺作品で、ニクソン陣営の老人・子供までもが、声を枯らして「Four more years!」と叫ぶ様は、アメリカ人観客の笑いを誘っていた。アメリカは、こういった政治風刺は中々上手い。

またオッ、と思ったのがシャーリー・クラークの「The Tee Pee Video Space Troupe:The First Years(Part 1)」(1970-71年)である。

4分50秒のこの作品は、チェルシー・ホテル屋上でのバーベキューらしきプライベート・パーティーの風景をドキュメントした物だが、何気無く出てくる面子がスゴイ。先ず元気溌剌ジョン・レノンとヨーコのカップル。そしてヨーコが纏わり付いている、椅子に座る白く繊細そうな男は、何とアンディ・ウォーホル。その横で飲み続けているのが、痩せっぽちのジャック・ニコルソン。本当にプライベートなパーティーらしく、皆リラックスしまくりで、彼らの日常が垣間見れ微笑ましい。

更に感動したのが、この短編の最後の場面なのだが、夜になって月が出た屋上に水の入ったバケツを持ち出し、水面に映った空の月を揺らして、ビデオに収める。その揺らしているオジサンが、「2001年宇宙の旅」の著者、アーサー・C・クラーク博士なのだ!!スゴイ人選且つ演出である。映画好きにはタマラン場面だろう。

この60-70年代という時代は、所謂ビデオの黎明期。家庭・業務用では8mmがコンパクト・ユースでは主体だった筈なので、当然実験的な作品が多いが、何しろそこが面白い。「ハンディ=パーソナル」とは一概には云えないだろうが、対象により近づき、より製作者の目線が近くなったと云う点、そしてそのビデオ登場の時代背景と風俗が必ずビデオ・アートに反映されると云う点が、当時のアート・テリトリーをより広げたのだろうと感じた。

いやー、マダマダ勉強する事が、たくさん有ります…。