「愛の宇宙船」そして「医学と芸術」。

咋日は叔母の30日祭(神道です)後、午後から妻の友人で、湘南に住むファッション・デザイナー&建築家カップルのお宅を訪問した。

江ノ電の駅から山を登り切った、海を見下ろす素晴らしいロケーションに、その家はある。船大工に頼んだと云う、木肌とカーブの美しいその家は夫人の設計だそうで、豊かな周辺自然環境にシックリと溶け込んでいる。家の内部も非常に独創的で、まるで「マザー・シップ」の様。二人の子供達も、両親の自由な発想力を楽しむ様に、家と環境に当たり前の様に馴染んでおり、何とも云えぬ温かい雰囲気を醸し出していた。

良く「家は人を表す」、と云う。この世界的に活躍するデザイナーが、自然と共存する、云ってみれば「ラブ・スペースシップ」とでも呼びたい様な家から、毎日都心に仕事に通っていると云う事実は、彼との会話からも垣間見れた、アートに向き合う或る種の「純粋さ」を証明しているのでは、と感じた。そして、こう云う家を建てて住むデザイナーの造る服は、どんな服なのか…ファッションに余りに疎い筆者であるが、是非とも近い内に、彼の作品を観たいと思っている。

心底綺麗な空気、風景、そして美味しいお茶と手作りケーキ。「心」を感じた、優しい一時であった。

後ろ髪を引かれながら、湘南を後にして東京に戻り、森美術館で開催中の「医学と芸術ー生命と愛の未来を探る」展へ。

この展覧会は凄い。ハッキリ云って、少々グロな作品も有るが、歴史的にアートが医学をどう表現してきたか、が俯瞰出来る。アーティストもダ・ヴィンチからハースト、クイン迄、医療関係器具も19世紀の医療器具から、義手・義足、最新の「脳波駆動電動椅子」迄、バラエティーに富んでいる。

さて、何が凄いかと云うと、人間が人体を描く時の「しつこさ」である。これは筆者の考えでは、単なる「医学の為」だけでは無い。歴史的に人間は、当然かも知れないが、己の肉体に「異常な」興味を示して来たのが判る。例えば杉本博司氏好みの画家ダゴティの、偏執狂的エロティシズムは、観る者にある種独特な興奮を誘う。そう、医学のアートは、非常に「セクシャル」なのだ。

展覧会中筆者が特に気に入った作品は、ドイツ製の象牙で出来た男女の解剖模型。細密に創られ、美しい箱に納められたモデルは、妖しいデカダンスを感じる程であった。また、クリックとワトソンの「DNAの二重螺旋構造メタル・モデル」や、ヤン・ファーブルの「私はわたしの脳を運転する」、20世紀初頭のX線撮影機器(人力車の様な)も興味深かった。

しかし、磨耗させて無くなる迄頭蓋骨を擦り付けた「痕跡」のアートや、死ぬ前と死亡直後のポートレイト等、筆者には理解し辛い作品も有り、少々不快になったのも事実である。こういった企画の難しさが感じられるが、もう一点だけ良かった面を云えば、展覧会に来ていた「客層」であろう。

筆者がこの展覧会を訪れたのは、日曜日の夜8時過ぎであったが、小耳に挟んだ会話から想像するに、「医学生」らしき若者が多かった事だ。これこそ、この展覧会の白眉では無いだろうか。

「医学鑑賞」後は、西麻布の「H」で遅い食事。ここは日曜の遅い時間でも、かなり美味しい料理がリーズナブルな価格で頂ける、素晴らしい店である。お薦めです。

「叔母の追悼」と「愛の宇宙船」と「医学と芸術」…考えさせられる、濃い1日でした。