大江健三郎とキース・ジャレットの「TESTAMENT(遺言)」。

2人の、全く異なる分野のアーティストの「新作」を「聴き」「読了した」ので、今日はその事を。

先ずは昨年出た、キース・ジャレットの新作「Testament」。この作品は、2008年の年末に行われたパリとロンドンでのライヴ収録盤で、パリのライヴを実際に聴いた友人A氏から強く勧められたアルバムである。

筆者に取ってキース・ジャレットと云えば、何と云っても'75年の「ケルン・コンサート」である。子供の頃からピアノを齧っていた筆者は、当然の様に或る時期からジャズ・フュージョン・ピアノに傾倒したのだが、この「ケルン・コンサート」をレコードで聴いた時の「驚愕」は忘れられない。

当時この人の音楽は、ジャズ界からもクラシック界からも異端視され、聴く方に取っても「新しい形の」インプロヴィゼイションを受け入れるのは、中々困難であった。聴く人に拠っては、「環境音楽」とか「イージー・リスニング」にも聴こえるこのアーティストの音楽は、「ケルン・コンサート」に因って尊敬と畏敬の念を筆者に抱かせた後、彼のトリオである「スタンダーズ」のそれが個人的に好みで無かった故に、残念ながら筆者を長い間遠ざけてしまっていたのだ。

が、この3枚組の新作「TESTAMENT」は、十二分に素晴しい。3枚の中でも特に「PARIS」が秀逸で、このパリの演奏を生で聴いたA氏が、筆者に熱心に勧めたのも充分に頷ける。このアーティストの演奏は、(異論も多々有るかと思うが)時折少々「クサい」所が有るのだが(筆者的には「LONDON」盤に「それ」が見え隠れする)、この「PARIS」盤では非常に情熱的で澄明、且つ独創的な演奏(「即興」を長年「独創的」に演奏するのは、至難の業であろう)に触れ、僭越ながらこのアーティストを、正直見直させて頂いた。

そしてもう一方は、大江健三郎の新作小説「水死」。「小説」を余り読まなくなって久しい筆者が、氏の作品を最後に読んだのは、彼此20年以上前なのでは無いだろうか。読了した氏の作品で覚えているのは、「万延元年のフッボール」「『雨の木』を聴く女たち」「見る前に跳べ」「性的人間」位で、決して熱心な読者とは云えない。が、本屋で真っ赤なカバーとその衝撃的なタイトル、そして「大江」の名前に釣られて購入、一気に読了した。

戦後民主主義の顔」とも云えるこの作家の新作は、著者がその老境を迎え、人生の最終コーナーに居る現在、「戦前」と「戦後」と云う両極端な思想と共に「日本人」として生きてきた、「アンビバレントな生の証」が描かれる。

著者本人の「仮の姿」としての、「暗い過去を持つ若い天才女優」と戦後直ぐに蜂起を計画した「革命思想家」、そして「舞台」と「現実」で描かれる「国家」に拠る「陵辱」とそれに対する「蜂起」。著者は本作に於いて、父親の「水死」を通しての「国家主義への批判」を貫くのだが、自身の人生を、作品に投影し創作を繰り返してきた作家に相応しく、或る意味著者の「総括的作品」として読了した。

この「水死」では、その昔大江作品を読んだ時の様な「難解さ」は影を潜め、ストーリー展開も早く読み易い感じがした。エンターテイメント的要素も見受けられるが、これは昨今の純文学の、或る「方向性」なのかも知れない。そして詳しくは云えないが、この作品の「殺害(処刑)」と云うショッキングな「フィナーレ」は、何処かフランス映画を観る様な、独特の余韻を残す。

そこでふと思ったのだが、本作の様に読者に「考えさせる」小説が、最近少なくなって来ているのではないだろうか。これは、現代日本人の或る種の「低能化」を象徴しているとも思える・・・小説が売れる、売れないの話は当然有るだろうが、「SATC」的文学作品のみでは亡国の日も近いのでは、との危惧が強い。

今回、この分野の異なる2作品を選んだ理由は、両作品とも何とも云えぬ「遺言」感が有るからである。キースのアルバムはタイトル「そのまま」であるが、「水死」にも何処か「遺言」の雰囲気が漂う。「遺言」とは云っても、「生前遺言状」の様に両アーティストが今後作品を発表する事も有るだろうが、「その覚悟」が非常に強く感じられる両作品であった。

最後に、キース・ジャレット自身に拠る当アルバムの為のノート、「Still crazy after all these years」中の或るパートを紹介して、今日は終わりにしよう。

So, loss may be a big thing, but what remains becomes even more important than ever. Just never let go of the thread.
(『喪失』という事は、人生にとって重大事件かも知れないが、その後の『残された物』こそが、今までの、そして元の事以上に『重要』に為るのである…。『糸』を手放す事だけは、決してしてはならない。)