「一瞬」の希望:「A Single Man」。

日曜日は、妻がダンス・クラスに行っている間に、やっとチェルシーの劇場で「A Single Man」を観て来た。

行ってみると、映画館は何しろ満員、しかも予想された如く「ゲイ」のカップルで一杯であったのだが、この現象はこの作品の監督の話題性、作品テーマを饒舌に物語って余りある。

さてこの映画は、「グッチ」や「イヴ・サンローラン」のクリエイティヴ・ディレクターとして名を馳せていた、トム・フォードの映画処女作で、ヴェネチア映画祭主演男優賞を主演のコリン・ファースが獲り、来月発表のアカデミー賞主演男優賞にもノミネートされている「文芸作品」である。しかしフォードに取っては、デビュー作がこれでは、後が大変かも知れないが…。

時は1962年のカリフォルニア。大学教授を務める中年のゲイの主人公(ファース)が、長年のパートナーを交通事故で失うところから始まる。パートナーとの幸せな生活と現在の「絶望」の生活が、交互フラッシュバックで描かれ、近所に住む長年の女性の友人(ジュリアン・ムーア)との心の交歓、教え子の美男子学生との邂逅を通して、主人公はその孤独と絶望から覚悟・予定をしていた自死を、取り止める。がしかし、最後は…、と云った内容である。

全編を通して流れる「沈鬱さ」は、観客に重くのしかかるが、フォードに因って選び抜かれた登場人物のファッション、主人公の家、その調度品全ての「デザイン」が綿密に択ばれているのが容易に伺え、そのテイストは観客にホッと(そして、フォードが監督である事を再認)させる。

映画はモノクロームとセピアっぽい画面で進行し、梅林茂も参加している音楽もその「沈鬱さ」を増幅させているが、長尺でもなく、「ファッショナブル」な雰囲気が何処と無く漂うので、却ってその「沈鬱さ」を和らげる効果となっている。美しい映画、と云って良いだろう。

そして登場する男性(男子学生や男娼等)も須らく美しく、如何にもフォード好みの「美男子」揃いで、ウチの妻などは「新鮮で、ヨダレが出る」そうだ(笑)。それにも況して特筆すべきは主演のコリン・ファースの演技で、繊細で本当に素晴しい。

シェイプした体にフィットする細身のスーツ、ホンモノのゲイにしか見えない「微笑」、最愛の者を亡くし苦悩する大学教授、インテリ・ゲイの役を最高の演技で演じる。アカデミーの対抗馬は、「Crazy Heart」のジェフ・ブリッジスだろうが、個人的にはファースに獲って貰いたいものだ。

また、筆者の「好きな女優ベスト5」に入る、ジュリアン・ムーアの好演も見逃せない。ゲイの大学教授に仄かな想いを寄せる、疲れやつれた遊び人の中年女を演じているが、彼女の存在に因って、この映画はグッと格調高い「文芸作品」になった様に感じる。

種明かしになるので記さないが、この作品の結末は或る意味「救いが無い」。が、この結末を観て、この主人公の人生が真に幸福であったか否かの意見は、きっと分かれるに違いない。その種明かしをせずに、二つだけ云える事が有るとすれば、「人の死」は突然訪れ、それを人はコントロールできないと云う事と、人はこの世に生まれ出でる時も、そして死ぬ時もたった1人である、と云う事であろう。この2点は、筆者的にも非常に共感できるテーマで有り、フォードと云う人をもっと知りたい、と思わせるには十ニ分で有った。

そう、この「A Single Man」とは、実際我々一人一人の事なのだ。

コリン・ファースの一世一代の演技を、篤とご覧あれ。