「ジャック・ブラック」によろしく。

「ジョー・ブラック」でも「ブラック・ジャック」でも無い、「ジャック・ブラック」である。

この「ジャック・ブラック」と云う名前を聞いて、直ぐに顔が思い出せて、しかも彼が好きだと云う人とは、友達になれそうな気がする・・・(笑)。

この40歳の「怪優」は西海岸出身、コメディと音楽を売り物にしている「オタク系」役者である。代表作は「Saving Silverman(邦題:マテリアル・ウーマン)」「Nacho Libre(ナチョ・リブレ 覆面の神様)」「Tropic Thunder(トロピック・サンダー史上最低の作戦)」等だろうが、個人的に最も好きな映画は、誰が何と云おうと、先日久し振りにTVで観た「The School of Rock(スクール・オブ・ロック)」だ。

この怪優は「眼」がスゴイ・・・何しろ「イッチャッてる」のである。この映画での「ロックに生きる偽教師」役は正に彼のハマリ役で、自分が演奏する時の「陶酔」状態、小学生にする「ロックの歴史」や「ロックの実践講座」の授業の時の、陶酔した愛溢れる演技…もう堪りません(笑)。

スクール・オブ・ロック」と云う映画は、ロック・バンドでギタリストをしている主人公(ブラック)が、ロックに対する「過剰な愛」(笑)に因るパフォーマンスの為に、バンドをクビになり、シェアしているアパートからも追い出されそうになる。そんな折、ルーム・シェアしている友人に名門私立校での臨時教師の話が来るのだが、金欲しさにその友人と成済まし、学校へ。そこで彼が見たのは、規律に縛られ勉強のみに生きる、元気の無い子供達であった。

彼は子供たちと打ち解けるに連れ、音楽の才能の有る子、絵の才能の有る子等など、一人一人に「GIFT」が有る事を知り、自分の青春を賭けた「ロック」を通じて、「熱中する楽しさ」や「『皆で』頑張る素晴しさ」そして「諦めない事」等を、子供たちに伝えようとする。そして最後は、身分詐称がPTAにバレながらも、子供たちの協力でライヴを敢行し、頭の堅い学園長やPTAからも拍手喝采を贈られる、と云う話である。

お決まりの大団円であるし、ストーリーも何て事は無い。が、この映画には素晴しい点が、確かに存在するのだ。

例えば、クラスの子供たちの中には、音楽的に全く才能の無い子供も居るし、人数的にも全員が「脚光を浴びる」バンドメンバーにはなれない。そんな子供たちが、ブラックがバンドを作って行く際に当然覚える「疎外感」や「負け犬感」を、ブラックは何とか解消させたいと考える。そこで彼は、そんな彼等がどんな事に最も興味を持っているか、どんな事に秀でているかを、子供たちと話しながら考え、そして「バンドに『関わる』役職」を与えて行く…この「関わる」所がミソなのである。

その上で、縫い物やデザインが好きな子には「バンドのコスチューム」を、コンピューター好きな子には「アニメ・プロモ」を、絵の好きな子には「ポスター」を、更には「マネージャー」や「広報」担当まで、クラス全員を全て「バンド」に関わらせる。昨日記した、「13歳のハローワーク」では無いが、子供たちに彼等の持つ「GIFT」を「気づかせる」のは当然大人の役目で、「教育」の真に有るべき姿の一つであろう。

また、クラスに居る異民族・異文化・異宗教の子供たちが、一致協力して一つの事を成し遂げる姿は、単にアメリカ的と云うだけでなく、これからの世界の「正しい方向性の縮図」である。これが、ジャック・ブラックの「熱きロック魂」の指導の下で成し遂げられる所に、この映画の素晴しさが有るのだ。

ジャック・ブラックのあの「イッチャッテる『目付き』」は、子供達を見る時には余りに優しく影を潜め、だが「ロック」と為ると突如現れる…「熱中する」というのは、そう云う事である。しかし、もし現実に隣にジャック・ブラックの様な大人がいたら、「変人(態)」にしか思わないかも知れないが(笑)、そう云う意味ではアーティストに「変人」が多いのも頷ける(再笑)…しかしそれは、アートに「熱中」しているからに相違いない。

ジャック・ブラックを見ると、何時もその事を想う。