KUNIYOSHI@Japan Society.

いよいよ、来週金曜から始まる下見会も近づいて来た…。「コンディション・リポート」の問い合わせ等も増え始め、「アブセンティー・ビッド(事前入札)」に拠って既に売れている作品も有るのだが、全てはこれからである。

そんな中、昨日はこの春の「Asian Week」の皮切りとも云える、ジャパン・ソサエティでの「国芳展」オープニングに行って来た。

昨年「英国ロイヤル・アカデミー」に於ける展覧会でも話題を浚った「歌川国芳」は、1797年に日本橋の染物屋の息子として生まれた。15歳で初代歌川豊国に入門し、1861年に65歳で死ぬ迄精力的に画業に勤めた、所謂「幕末浮世絵師」である。

当時「豊国門下には、3人の優秀な門下生が居る」と評判で、それは「風景画」の広重、「役者絵」の国貞(三代豊国)、そして「武者絵」の国芳であった。確かに今回の展覧会を観ても圧倒的に「武者絵」が多いのだが、筆者からするとこの国芳と云う絵師の特性は、決して「武者絵」だけでは無く、「三枚続」と云うフォーマットと「空想力」、そして「ユーモア」なのである。

そこで、筆者の最も好きな「三枚続」を挙げるとすれば、何はともあれ「相馬の古内裏」だろう。天慶の乱で殺された平将門の遺児「滝夜叉姫」が、相馬の古御所に籠もり妖術を使って、謀反の武士を集めて父親の敵討ちを企てるが、大宅太郎に阻止されるという筋なのだが、三枚続と云う「超ワイド画面」を効果的に利用した、妖術に因って現れた骸骨が甚だショッキングで、構図が素晴しい。その上、この巨大骸骨は解剖学的にもかなり正確らしく、その辺も国芳の面目躍如である。

そしてもう一点挙げるなら、「宮本武蔵巨鯨を刺す図」。この作品を観たら「シー・シェパード」や「ザ・コーヴ」関係者等は激怒するだろうが、知った事では無い(笑)。何故なら日本国には、文化としての「捕鯨・鯨食」そして英雄伝説としての「鯨退治」の歴史が有るのだから(海外には「エイハブ船長」も居るが)。

この作品の迫力も凄まじい。もう殆ど三枚続の画面からはみ出る勢いの鯨、波の「青」、鯨体の「白と黒」、鯨の口、武蔵の刀鞘と袖内、そして瓢箪落款の「赤」が素晴しいコントラストで画面を締める。画中の文に拠り、この鯨は「背美(せみ)鯨」と判るが、小人の様な武蔵に刀を突き刺されても、何処と無くカワイく憎めない顔をしている。日本美術史上で、「描かれた鯨」の代表作と云えば、この作品と近年発見の若冲の「象鯨図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)に尽きるだろう(拙ダイアリー:「平安若冲製『ロミオとジュリエット』」参照)。

この他にも「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」や、「竪三枚続」の傑作「那智の滝の文覚上人」等、国芳の「三枚続」はその「空想力」と「構図の凄さ」に因って、他の絵師のそれを全く寄せ付けない。また国芳のもう1つの特性である「ユーモア」と云う面では、俗に云う「戯画」が素晴しく、16世紀イタリアの画家アルチンボルドを髣髴とさせる、裸の人を寄せ集めて描いた作品「みかけハこはゐが とんだいい人だ」や「としよりのよふな 若い人だ」等、何処かしら暖かさが漂う画風で、観る者をハッピーにさせる。

こんな訳で、国芳作品には非常に面白いモノも多いのだが、ここでちょっと苦言を。

それはと云うと、このジャパン・ソサエティの展示が今ひとつ面白く無かった事だ。展覧会タイトルに「Graphic Heroes, Magic Monsters」と銘打っては居るが、こう云っては何だが、唯「個人コレクションを借りて来て、展示しただけ」と云う感じなのである。予算の都合も有るだろうが、例えば影響を受けている現代美術家との比較や、「Graphic」や「Magic」な部分を強調した展示等、企画にもう一捻り欲しいと思ったのは筆者だけだろうか。もう一点、ギャラリーでボストン美術館製の「複製版画」を販売していた様だが、これも色々な意見も有るだろうが、筆者的には如何なものか…である。

今年、ジャパン・ソサエティーのギャラリー・サポーターを「或る理由」で辞めた者としては、色々と思う所も有るのだが、ニューヨーク、いやアメリカでの「日本文化への入り口」としてのジャパン・ソサエティ・ギャラリーは、その責任の重さを跳ね返す位の企画展示をする「義務」が有る様に思う…そしてそう期待しているのは、決して筆者だけでは無い筈だ。


お知らせ:
そのジャパン・ソサエティーで、来る3月17日(水)18:30より、萩焼現代美術家、十二代三輪休雪に拠る「伝統と革新」に関するレクチャーが開催されます。レクチャー後はレセプションも有り、作家本人と会うチャンスも。お問い合わせはジャパン・ソサエティー迄。