日本で読んだ、幾つかの本。

この所ニューヨークはずっと雨模様で、ジットリとした天気は、只でさえ時差ボケでシャンとしない体調の悪さに、これでもかと拍車を掛ける。

クリスティーズでも、明日から下見会のセット・アップが始まり、NY中の東洋美術を扱うギャラリーも「ASIAN ART WEEK」のオープニング・レセプション一色となる。明日から始まる、毎日の様なレセプションとディナーで、胃も体も疲れるのは眼に見えているが、頑張らねばならない。

さて今日は、濫読家の筆者が日本滞在中に読了した、幾つかの本を紹介しようと思う。


会田誠著「カリコリせんとや生まれけむ」(幻冬社
現在最も油の乗っている、現代美術家のエッセイ集。会田氏は「鬼畜系」とか「ロリコン系」とか呼ばれて久しいが、そもそも彼の作品の表層部だけでそう呼ばれているので、頭の堅いオッサンやPTAの連中もこのエッセイを読めば、少しは彼のアートの本質がわかる(かも知れない:笑)。

筆者は一度だけ会田氏にお会いした事が有るのだが、ああ云うアートを制作する人は恐るべきコンプレックスと、尋常ならざる「覚悟」を持つ人だろうと思っていたが、意外にも(?)非常に物静かな人だったのを覚えている。文中で明らかになるように、会田氏は新潟大学社会学教授の息子として生まれたが、全てに於いて「中途半端」が耐えられず、その結果「エクストリーム」に行ってしまったと云う経緯等、筆者と2歳違いの同世代感も手伝い、正直共感甚だしかった。中でも「マルクス・エンゲルス全集」の話が最高である!因みにタイトルの「カリコリ」とは、頭を掻く時の音だそうな(笑)。


東浩紀著「クォンタム・ファミリーズ」(新潮社)
新進気鋭の社会思想家の処女小説。と云うか、本書は「小説」の形態は取っているが、所謂「小説」では無く「『工学的』近未来私小説」の様な趣である。後で知ったのだが、著者の妻も作家で、義父は高名なる翻訳家小鷹信光、完全に小説の登場人物と被っているので、「私小説」的と見えたのも当然かも知れない。

そしてこの作品は、その目まぐるしい「複雑さ」と「唐突さ」で、所謂「読物」としては不出来と個人的には言わざるを得ないが、「家系」や「血」の連鎖、「自分の人生はこうなる『筈だった』、『かも知れない』」と云う、多くの人が持つであろう人生に於ける「選択の仮定形」が並列する構成、それらを近未来コンピューター社会での「検索」や「伝達」に置き換える術は、著者ならではのモノであろう。筆者には、正直「難解」と云うか「煩雑」であったが…「THE '60年代」の筆者としては、同作者の「ゼロ世代」も読まねば最終的に理解できないのでは、と感じたのも当然か。


吉左衛門著「茶室をつくった。佐川美術館 楽吉左衛門館 5年間の日々を綴った建築日記」(淡交社
これは茶陶界のスーパー・スターに拠る、かなり読み応えの有る「『現代茶室』建築日誌」。当代楽氏の作陶生活と密着し、美術館、建設会社、数奇屋建築棟梁、コレクター等とのメールでのやり取り、打ち合わせを通して、「現代美術家」としての楽氏の芸術的方向性、作家としての苦悩等が明かされる。

その茶室で茶を飲んだ事は未だ無いが、筆者は実際この茶室に入り座った事があるので、各所を思い出しながら、またその設計者としての楽氏の意思を感じながら読み募るのは、非常に楽しい経験であった。また今回、海外では初めてオークションに氏の作品を出品するので、そう云った意味でも為になった本であった。


白州正子・多田富雄著、笠井賢一編「花供養」(藤原書店
白州正子の著作は勿論全部読み、多田富雄の「免疫の意味論」と「生命の意味論」に「免疫」と「自己」への眼を開かされた筆者としては、この本を感動無くしては読めなかった。

白州の死の直前、たった3年間で培った両氏の友情は、本作品中に何回か指摘されている様に、どう見ても「男同士」のモノで有る。そしてこの「『男』の友情」は「能」と云う形を取る事に因り、白州の「追善」としてその最終形を取る。

方や幽明境を異にし、方や脳梗塞に因る車椅子生活での執筆活動、この2人の「知」の大成者が織り成した「たった」3年、しかし余りにも濃密なその時間は、「友情」と云う物は単に「時間軸」では捕らえられないと云う事を端的に証明し、そして多田氏の「生」のエネルギーは、如何なるハンディキャップをも超克し「新作能」の制作に邁進する。

この「新作能」の製作過程に於ける、多田氏と笠井氏(この方は、現在観世銕之丞師率いる、「銕仙会」のプロデューサーをされている。NY公演や銕仙会公演で何度かお目に掛かったが、非常に優秀で温和な方である)のメールのやり取り、そして完成された「花供養」は、その完成度に於いて例え「芸術」としてのクオリティに疑問が残ろうとも、当代一流の能楽師達によって演じられ、それは飽く迄も本来の「供養」として、観る者読む者に非常な感動を与える。物事を「全うする」とは、こう云う事を云うのだろう…数寄は一代、君子の交わりは水の如し…勉強になる一冊であった。


何時の日か、こんな「友情」を育んでみたい…しかしその為には、先ず自分を鍛えなければならない。道は遠い…。