「ギヴ・ミー・チョコレート」:沖縄生まれのアーティストが記す、「終わらない『戦後』」。

木曜日の夜は、某民放のアメリカの社長さんH氏のお招きで、ギタリストS君と「男三人食事会」。

場所は、噂には聞いていたが今回初めてお邪魔した、NOHOに在る「紹介制」レストランの「ボヘミアン」。H氏とは始めてお会いしたのだが、非常に「男気」が感じられる方で、美味しいご馳走と様々な話題共々、大変充実した時間を過させて頂いた。

食事後は、友人のYちゃんのバースデーに合流するために、イタリアン「P」へ。既にヘア・デザイナーのTOMと妻が居て盛り上がっていたが、その後最近カナダ・ケベックの美術館のコンペに見事勝った、建築家S氏が合流。彼の勝利は、事前にプレゼンの模型を観たりもしていたので、我が事の様に嬉しい…S氏、本当におめでとう!!そして「P」に閉店まで居た後は、チャイナタウンに程近い、偶に行く「O」に移り夜中の2時過ぎまで…盛り上がりました。

翌金曜日は、「イースター・ホリデー」と云う事も有り、久々のお休みを貰った。昼前まで寝て、来月号の連載の下調べをする。夜は友人C&Rのカップルと、アッパー・イーストサイドのビストロ「C」でディナー…奥さんのCのご両親がNYに来ていて、再会を祝す。「C」は嘗てマディソンに在った「La Goulue」のオーナーのガールフレンドの店で、中々旨かった!

カップルの旦那さんの方のRは、NYで21年続いている某有名番組のエクゼクティヴ・プロデューサーなのだが、来週初めて「監督」をすると云うので、その話しきり。ジャパン・ソサエティーでやっている「ファム・ファタル」の映画の事を教えたら、非常に興味を持っていた…やはり「殺し」好きなのである(笑)。

さて今日は、先日一緒にその「刺青」を観た友人、NY在住アーティストの「市村しげの」氏のブログを紹介したい。

市村氏は筆者と同じ年で、夫婦同士も長い付き合いが有り、また筆者の中高の同級生が彼の大学時代の同級生だったりのご縁も有り、NYのアート界での数少ない「気の置けない友人」の1人である。

実は以前にも彼と呑みに行った時に、彼の出身地である「沖縄」の話が出て、東京出身の筆者に取っては、同じ年でもこんなに環境が違うのかと、愕然と云うか半ば吃驚仰天した事が有ったのだが、それは例えばこんな話だった。

沖縄が日本に正式返還された年、1972年に市村氏は小学校低学年であった。そしてその返還の翌日、突然「日本に為った」市街では、「車の通行」や「バス停」が右から左に変わり、それに対応できないドライバーや歩行者たちに因って、街中至る所で交通事故が起きていたのだそうだ。またその頃は、「本土」に行く為には未だ「パスポート」が必要だった事や、家のテレビでアメリカの番組が観れた事、アメリカ兵に散々苛められた事など、何しろ生々しかった。

そして最近氏のブログを久々に覗いたら、今日のタイトル「ギヴ・ミー・チョコレート」と云う題で、素晴しい文章が書かれていたので、筆者としては、何しろこのブログを是非皆さんに読んで頂きたく思い、市村氏の了解を取った上で此処に紹介させて頂く。

http://www.shigenoichimura.com/Japanese/Blog/Entries/2010/1/27_gibumichokoreto.html

このブログは、氏が最近日本の新聞を賑わせている「沖縄基地問題」に関する記事を読んだ時に、少年時代の「或る記憶」が突然蘇って来たので、書いたのだそうだ。戦後18年経って生まれ、戦争体験が無いにも関わらず、「沖縄」と云う土地に生まれた為に未だに引き摺る「終わらない戦後」、そして振り返りもせずに日本を後にして、NYと云う「敵国アメリカ」の大都市で、20年以上生きて来た「沖縄出身」アーティストの言葉は、筆者に何とも云えぬ想いを感じさせたのだった。

最近の「基地問題」で考えさせられる「日本の戦後」と「安保」、そして日本(人)に取って「アメリカ(人)」とは一体何なのかを、今一度考えるのに最適な、素晴しい文章である。