「文学音楽」のすゝめ。

昨日のニューヨークの気温は、何と32度。今日も24度の予想が出ているが、明日にはまた16度位まで下がるそうな…体が変になりそうだ。

実は今週の月曜から、平野啓一郎氏の力作「葬送」をやっと読み始めた。念の為に云っておくが、今日のダイアリーは、「葬送」の読後感想では無い…何しろやっと「第一部・上巻」読了、と云う状況なのだから…感想は全巻読了後に記そうと思う。因みに文庫版「第一部下巻」から、「主要登場人物」の名前と相関リストが有り、NYで外国企業にもう10年以上も働いているにも拘らず、外人の名前を覚えるのが大変苦手な筆者は、大層助かった…(笑)。

さて平野氏の著作は「日蝕」から始まり、「一月物語」→「決壊」→「ドーン」、そして短編集やエッセイ・評論と此処1年読んで来て、滔々本作に辿り着いた。がしかし、この「葬送」は、文庫版でも計4冊の大作でも有り、この作品を読むには心して掛からないと、と思っていたので、全4冊を購入してからも暫くの間、アパートの本棚の「未読コーナー」にて紐解かれるのを待っていた。

そして、今年は折り良く「ショパン生誕200年」だそうで、先日もリンカーン・センターにガリック・オールソンの「オール・ショパン・リサイタル」を聴きに行ったり(序でに、来週末カーネギー・ホールでの「ポリー二」の「オール・ショパン・プログラム」にも行く予定…モノスゴク楽しみである!)、この間日本に行って平野氏とお会いした時に、ご本人から直々に氏の選んだショパンの名曲名演奏集CD、「平野啓一郎が選ぶショパンの真骨頂 『葬送』」を頂いたので、オークションも終わったこの時期、「チャンス到来!」とばかりに「葬送」を読み始める事にしたのだった。

月曜の夜、妻は恒例のダンス・クラスに行っていて、1人で読書をするには最適な環境(笑)…勿論BGMは、平野氏プレゼンツ「葬送」2枚組のショパンである。しかし何時も思うのだが、これから読み始める本の「1ページ目」を捲る時の、期待とも興奮ともつかない「あの感じ」は何なのだろう?未だ経験が無いのだが、「電子書籍」を読み始める時でも「あの感じ」は有るのだろうか?

CDをセットし、1ページ目を捲る。ショパンの「葬儀」のシーンから始まる「葬送」と、スピーカーから聞こえ始めたリパッティの「ワルツ第5番 変イ長調 作品42」とが、眼と耳を刺激して通過し、脳内で溶け合う…何と心地良いのだろう!CDに付いている平野氏の詳細なライナーノーツには、「この曲は、このページ」のオススメも有るのだが、それは全巻読了後の改めての楽しみに取って置き、ページと曲が進むに任せる。

「葬送」に於ける平野氏の文章は、何と云うか「日本語で書かれた『仏文学』」の様で、「パリの香り」がリアルに匂って来る。筆者も少年時代から、フランス語やフランス人と親しんでいた事も有り、文中の台詞でも、如何にもフランス人の云いそうな言葉や云い回し、その中の「毒」やシニカルさが妙にリアルで、そこが「日本語で書かれた『仏文学』」感の理由かも知れない。

そこにこの小説の主人公、ショパンの名曲が流れると来れば、脳内で思い描く「ドラマ」が盛り上がらぬ訳が無い。これは「映画音楽」ならぬ、「文学音楽」では無いか!!序でに云えば、壁に「ドラクロワ」を掛けたい所だが、贅沢過ぎるか…(笑)。

以前より「映画音楽」が有って、「文学音楽」が無いのは何故だろうと思っていて、自分が小説や、時折詩や和歌などを読む時に、これぞと云う曲を掛けて来たのだが(誰もがそうしているだろうが)、この「ショパンショパン」は当然といえば当然だが、これ程小説の展開・情景と音楽がピッタリ嵌るのも珍しい。文中のショパンの演奏シーンのみならず、それが街の描写であったり、サロンでの会話やショパンドラクロアが病に苦しむシーンの様な、小説中の「如何なる」情景にも、CDからのショパンが見事に溶け込むのである。

それから毎晩、「葬送」を少しずつ読みながら、そして聴きながら、時には別のショパンのCDを掛けながら時を過している…何と至福の一時で有ろうか!しかしこのCDを聞いて、改めてサンソン・フランソワショパンが、誰が何と云っても最高であると「再確信」した(笑)…生前一度で良いから、ライヴを聴きたかったと思う。

今回の平野氏の様に、単なる「BGM」では無く、文学者がより積極的にこう云う「試み」をすれば、新しい創作活動にも繋がるだろうし、昔の「レコジャケ」では無いが、文学者が「私の小説(詩)は、この音楽と一緒に読んでみよ」的なプレゼンテーションも、有り得るのでは無いだろうか(著者の薦める音楽が嫌だったら、読者は別の曲にすれば良い)。

因みに、以前此処で記した大江健三郎著「水死」には、キース・ジャレットの「テスタメント」、2回前のダイアリーのタイトルに使った、唐の詩人劉季夷(廷芝)の七言絶句「代悲白頭翁」(年年歳歳…)には、マスカーニ作のオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲が、非常に良く合います(個人的には、ですが)。

そう考えれば、「絵画音楽」もかなり楽しめる。「クリムト+トム・ウエイツ」(これはニコラス・ローグ監督作「ジェラシー」のパクリ)とか、「山越阿弥陀図+ツァラトゥストラかく語りき」…(ちょっとベタか)。

これからも「眼と耳と脳」を駆使して、読み進めるショパンドラクロアを廻る大河ロマン「葬送」…「文学音楽」の楽しみも尽きない。