「寡黙なる巨人」の死。

日本時間の21日、「寡黙なる巨人」が滔々亡くなってしまった…未だ76歳であった。

この「寡黙なる巨人」とは、免疫学者の多田富雄氏の事である。9年前に出張先で脳梗塞で倒れ、以来右半身麻痺の状態でも諦めずに、左手のみで活発な執筆活動を続けておられたが、数年前から患っていた癌の為亡くなったとの事。

この多田氏とは、何度か「能楽堂」でお見かけした時に目礼を交わす程度で、所謂個人的面識は無かったのだが、ずっとその著作と「能」の世界での氏の活動を尊敬していた事も有り、一方的に親しみを持たせて頂いていた…ご逝去を非常に悲しく、残念に思う。

多田氏の著作が筆者に与えた影響は、計り知れない。氏の「免疫の意味論」と「生命の意味論」は、長い間食わず嫌いでいた科学思想の世界に、息つく暇も無く筆者を魅了し、その深遠なる世界へと連れ込んだからである。

さて、そもそも氏の著作を読むきっかけになったのは、実は村上龍の1996年の著作「ヒュウガ・ウイルス 5分後の世界II」なのだが、それはこの作品が詳細な「ウイルス」と「免疫システム」に関する記述、延いてはそれが政治的「専守防衛」思想に繋がると云う非常に良く出来た小説であり、当時寝るのも惜しんで読んだ小説だったからである。

そしてこの小説で、人体の「免疫システム」に非常に興味を持った筆者は、その巻末に有った免疫学に関する「参考文献」を片っ端から読み始めたのだが、それが多田氏の著作に触れた最初であった。ニューヨークに来てからも、今はT医大で病理やっている、当時ロックフェラー大学アルツハイマー研究をしていた友人H氏やその友人を介して、「免疫学」と其処から派生する思想哲学を著す多田富雄と云う人に、益々興味を持って行ったのだった。

その後、多田氏が「能」の小鼓を学生時代から嗜んでいて、新作能も創作し、白州正子とも交友が有る事を知った(拙ダイアリー:「日本で読んだ幾つかの本」参照)。免疫学者が能をやり、新作能まで作る…凄い人では無いか!

しかしこの人の「凄さ」は、実はその後の人生にこそ有った。多田富雄と云う人は、脳梗塞で倒れてからもリハビリをしながら著作活動を左手一本で続け、厚生省の「リハビリ日数制限制度」に反対し、自らの体を以てして最後まで戦った「不屈の男」なのである。

その戦いのドキュメントとも呼べる、多田氏が小林秀雄賞を受賞した著作「寡黙なる巨人」では、その「不屈振り」が何の脚色も無く淡々と、氏の苦痛、苦悩、リハビリの過酷さ、「日数制限制度」の不備等と共に綴られる。

ここに見られる、「最高の頭脳」が云う事を聞かない「自分の体」に持つ絶望・不信・不満・不平は、読む者の胸を抉る物があるが、しかし多田氏の「諦めない」精神力…その上癌になっても、である…には深い感動を覚えずにはいられない。

多田氏は長年親しんだ「能」に関しても、「脳死」「原爆」「強制連行」「相対性理論」等の社会問題をテーマとした新作能を創作し、数年前には「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を組織したりした、最期まで「アカデミック」且つ「アーティスティック」な、「『不屈の』知の巨人」として有り続けたのだ。この様な人は、今後中々出て来ないのでは無いだろうか。

多田富雄氏のご冥福を、心よりお祈りする。