「ヴードゥーの呪い」だけは…。

久々のニューヨークでの日曜は、前の晩ディナーをしたアッパー・イーストサイドに在る和食店、「D」のイケメン・シェフ、Jさんの「特製カレー」で始まった。

「常連」や「シェフの友人」には為る物だと、こんな時につくづく感じる訳だが、云ってしまえばJさんと云うシェフの、類稀な腕と個性の強いイケメン振りに、単に魅了されているだけなので有る(褒め過ぎか:笑)。しかしそんな事は兎も角、何と旨いのだ、このカレーは…!

勿論このカレーは店のメニューには無く、所謂「賄い」用なのだが、信じられない位に旨い。冷たい侭暖かいご飯と食べても良いし、勿論両方アツアツでも宜しい。しつこい様だが、真剣に旨い…Jシェフは天才である。

お替りをして昼食を終えた後は、久し振りに読書に勤しむ…最近読了した宮津大輔著「現代アートを買おう!」と、森村泰昌著「露地庵先生のアンポン譚」に続く、椹木野衣著「反アート入門」である。

因みに「現代アート…」は、幾つかの誤謬が有る。特に個人的に許せないのは、38ページに記載されている所の、売却当時世界最高価格と為ったゴッホ作「ドクター・ガシェの肖像」を、大昭和製紙の斉藤了英氏が「サザビーズ」で落札したと云う件、其処の所「サザビーズ」では無く、「クリスティーズ」なんですけど(笑)!それに引替え森村氏の「アンポン譚」は、氏独特の英知有るユーモアと探究心溢れる内容で、「その通り!」的箇所も多くかなり楽しめた。そして「反アート入門」…未だ途中では有るが、かなり核心を突いた内容で面白い。これからが楽しみだ。

夕方迄徹底的に本を読み、6時前になると、イソイソと昨日のメイン・イヴェントへとお出掛け…55丁目に在る「Alvin Ailey American Dance Theater」へ、妻が出演するヘイシャン(ハイチ)・ダンスの公演、「Fos Lavi」(Power of Love)を観る為だ。

以前此処にも記したが、筆者の妻は元「能楽師」で、正しくは「能楽シテ方観世流」。S先生と云う業界でも厳しい事で有名な師匠の下で「内弟子」をしていたのだが、その妻がニューヨークに来て以来ハマッて居るのが、「アフリカン」と「ヘイシャン」の両ダンスなのである。

15分程居眠りをして、ハッと起きても主役の位置が眠る前と殆ど変わっていなかったりする「能」と(笑)、1分間にどれだけ動けば気が済むのだ!の「ヘイシャン」とは、180度異なる「舞」と「踊」に思えるが、本人曰く「最大級の肉体力を、『内側』に込めるか『外側』に出すか」の違いだけなのだそうだ…若かりし頃、ディスコで「チャチャ」や「ソウルCC」位しか踊った経験の無い者には、奥が深すぎて全く理解不能であるが。

「アルヴィン・エイリー」に着き、地下の会場に行ってみると、既に結構な数の観客が来ていて、人種も白人黒人ヒスパニック、老若男女子供までバラエティに富んでいる。

さて今回の公演「Fos Lavi」のストーリーは、或る日、母親が娘をダンスクラスに連れてくるが、そのクラスで娘はある少年と恋に落ちてしまう。母親は2人を引き離してしまい、娘は落胆、出奔し森の中で自死を図る。母は娘を15日間探し続けるが見付からず、しかし或る晩夢枕に精霊からのお告げが有り、母は娘が生死の境、つまりは現実と精神世界の間を旅している事を知る。最終的に、娘はヴードゥーの祭りに因って助かるのだが、母はその事に因って、人間の真の「生命の力」を知る、と云った内容である。

正直、少々間延びした段取りや演出が有ったのは否めないが、バレエをかなり意識したダンスとその振付、ドラムを中心とするライヴ音楽は中々良かった様に思う。「ヘイシャン」素人の筆者には、その振付は土着的舞踊とバレエとを上手くミックスした様に見えたし、主役の女性の踊りも美しく力強かった。

音楽の方はと云うと、トランペットとサックスの管楽器2本と女性ヴォーカル、そして複数のドラムでの構成だが、このドラム・マスターのダニエル・ブレヴィが物凄い。彼の叩き出す強弱のリズムとその音は、聴く者を恍惚とさせ、そもそもハイチの音楽と「ヴードゥー」とは切っても切れない関係が有るのだから、「陶酔の魔力」が潜むのも当然だろう。因みに舞台後半に、映画「007 死ぬのは奴らだ」にも出てくる、半分白塗りでシルクハットを被った黒い「呪術師」が出て来た…ヴードゥーは本当に恐ろしい。

そして、我が妻も奮闘していた!ダンサーの中でも少人数の「精霊」の役柄で、2番目に重要らしきチームに入って居たが、筆者の「御三度」をしながら、良くあれだけの振付を覚えられるものだと、感心頻り。流石、能をやっている時に謡曲を覚えただけの事はある…妻のキレの良い踊りは、数多のダンサー達の中でも充分に目立っていた!そして彼女と一緒に出演した、妻にアフリカンの洗礼を受けたタレントのYさんも大奮闘、流石Yさんは舞台慣れしている感も有った。

しかし妻は、何故かご機嫌斜め…。聞くと、演出やダンサー達が余りにも「バレエ」過ぎて、所謂「本格的ヘイシャン・ダンス」と掛け離れてしまった為に、自分のダンスも浮いてしまい、不満足なのだと云う。

パフォーマンス・アートは、演じた者にしかその真の「アート感」と云うか「完成感」は判らないのだろうが、観る「楽しみ」や「感動」は、演じない者の特権でもある。ステージ上の妻が不満でも、客席の夫は満足だったのだから、それはそれで良いのでは無いか…作り手と受け手が居て、初めて「アート」は存在し得るのだから。

奥様、お疲れ様でした!不機嫌だからと云って、ヴードゥーの呪いなど掛けないで下さいね…「六条の御息所」に「ヴードゥー」じゃ、この孫一、体が幾つ有っても足りないですから…(笑)。