或る夏の日、ローザンヌで。(前編)

昨日、スイスのローザンヌに住む新規顧客からの手紙を受け取った。

内容は、クオリティの余り良くない掛軸の査定依頼だったのだが、手紙の裏に書かれた「Lausanne」と云う住所が、或る「美しい過去」を甦えらせた。

あれは6年前の、或る初夏の日の事。秋のオークションに出品する作品を探す旅の途中、ロンドンでの顧客訪問・査定を終えた私は、K夫人と云うローザンヌに住む御婦人の元に在る屏風を査定する為に、ヒースローからジェネーヴへと飛んだ。スイスへは、ビジネスで何回か行った事が有るが、フランス語圏で有るジュネーヴはドイツ語圏のチューリッヒと比べても、自分がフランス語が少し出来る事も有って、その雰囲気や人々も身近に感じる。

ジェネーヴ空港からは、新幹線並みに快適な「IC」と呼ばれる特急列車で、ローザンヌに向かう。ローザンヌはジェネーヴの北東約50キロ、IOC本部やスイス連邦最高裁判所が在り、文化面でも国際バレエコンクールなどが開催される、風光明媚なレマン湖の北岸に面する小さな美しい街である。

車窓を足早に通り過ぎる、美しい風景に眼を奪われたのも束の間、30分程でローザンヌの駅に着いた。夫人とのメイルに拠る事前打ち合わせでは、K夫人自身が駅に迎えに来てくれる事に為って居たので、旅行カバンを抱え、古びた石造りの駅舎のホームに数段ステップを降り立ち、辺りを見回した。

すると、久し振りの再会に抱擁を交わす人々や、足早に颯爽と歩き去るビジネスマン達の合間に、誰かを探している様に見える、年の頃60代半ば頃であろうか、遠くからでも一目でその美しさの判る、如何にもヨーロッパ貴婦人然とした、1人の女性の姿が眼に映った。

近付き「K夫人でいらっしゃいますか?」と声を掛けると、「Mr.Katsurayaですね?」とニッコリと微笑んだそのご婦人は、大きめの襟のストライプ・シャツに、スッキリとした白のパンツと云ったスポーティな出で立ちで、そして何よりも全く「手を加えていない」、年を重ねた美しさと気品に溢れた女性であった。夫人は「Mr.Katsuraya、ローザンヌにようこそ。遠く迄来て頂いて、本当に感謝しています。車で来ていますので、どうぞ此方へ。」と云うと、駅舎を出て駐車場へと私を誘った。

駐車場で私達を待っていたのは、旧式のフォルクスワーゲン・ゴルフのカブリオレ…何と無く、夫人のその気品溢れる風貌から、運転手付きのベンツか何かを想像していたのだが、私は「青かった」。髪留め代わりにしていたサングラスを掛け、幌を上げた「マニュアル仕様」の赤のゴルフ・カブリオレで、ギアを巧みに変えながらローザンヌの街の石畳の坂道を、颯爽とドライヴするK夫人の横顔を見詰めていると、夫人は恥ずかしそうに「日本の事は何も知らないので、教えて下さいね。」と話し出した。「何でもお聞き下さい…僕に答えられる事でしたら。」と云うと、サングラスを外し再びニッコリと微笑んだ…変な云い方だが、この時程女性の「笑い皺」が、知的且つ美しく思えた事も未だ嘗て無い。

くねる坂道を上がり切ると、如何にも高級な小世帯コンドミニアムが在り、そこが夫人の住居らしい。車中での話に拠ると、K夫人はパリ、ロンドンそして此処ローザンヌに家を持っているらしく、部屋に入る時少し恥ずかしそうに、「最近この部屋には来てなくて、キチンと掃除も出来てないの…ゴメンなさいね。」と呟いた。

部屋に入ると、大きな窓からは少し霧の掛かった「レマン湖」が一望できる。そしてその反対側の壁には、17世紀初頭と思われる、本間サイズの紙本金地著色・六曲の「洛中洛外図」が掛かっていた。

半双では有るが中々状態も良く、時折思うのだが、「日本美術も、良くぞこんな所迄…思えば遠くに来たものだ。」と感慨を新たにする。自分の描いた作品が、400年後にスイスと云う国のローザンヌと云う街で、霧に包まれた「レマン湖」と呼ばれる美しい湖を見渡すアパートの壁に掛けられている事等、江戸初期の京の都で日々この様な屏風絵を描いていた、狩野派系絵師集団の誰が想像しただろうか…これぞ「美術品流転」のロマンである。

状態をチェックし、エスティメイトをK夫人に告げると、夫人は「判りました。」とだけ云い、即座に出品を承諾した。そして夫人は、「Mr.Katsuraya、お帰りの列車の時間は何時なのですか?宜しければ、ランチでも如何かしら?」と私に尋ねた。

(後編に続く)