「そうしましょう。」
…そう答えると、K夫人と私は部屋を出て再びゴルフに乗り込み、今度は坂道を下って行く。
そしてレマン湖畔のカフェに入ると、夫人は水際のテラスに席を取り、夫人はミモザ(だったと思う…此処だけが唯一不確かなのだ)、私はぺリグリーノ、そしてサンドウィッチを頼んだ。
「どうやって、あの屏風を手に入れられたのですか?」
「ああ、あれは半年前に亡くなった主人が、もう何年も前にロンドンで買った物なのです。」
「そうですか…それではあの屏風は、ご主人の『想い出の品』なのですね?」
「そう、だから早く売りたいのです…。」
K夫人の顔が、ほんの少し歪んだ様に見えたのは気のせいだったかも知れない。が、『想い出の品』を早く売りたい…それ程迄にご主人の事を忘れたいのだろうか?
冷酷かとも思ったが、何故早くこの屏風を処分をしたいのか、夫人に尋ねた。すると夫人は、
「私は、日本に行った事が有りません。主人は若い頃から何度か日本に行き、そして『京都』と云う街の素晴しさに心を打たれていたらしく、この屏風を見る度に、何時か私を連れて行きたいと云っていましたが、心臓発作で信じられない位に呆気無く、逝ってしまいました。」
「失礼ですが、奥様はどの位ご主人とはご一緒だったのでしょうか?」
「2年間でした…。」
そうだったのか…K夫人は「この年齢」で恋をし、亡きご主人と結婚されたのだ。そして、2人で近い将来訪れる筈だった「京都」を描いたこの屏風は、K夫人に唯々ご主人を思い出させる、或る意味「辛い道具」と化していたのだろう。
「そうだったのですか…」。さりげなく話題を変え、食後のコーヒーが運ばれ飲み干すと、夫人は「Magoichi、未だ列車の時間まで少し時間が有りますから、湖畔を歩いてみませんか?」と、初めてファースト・ネームで私を呼び、訊ねた。
「Avec plaisir(喜んで)。」
私達はカフェを後にし、肩を並べてレマン湖畔を歩き始めた。
霧が薄らと掛かった湖畔の散歩道を、私の肩を超える程の背丈の老婦人が少し前を歩く。そして暫く歩いた後、ポツリポツリと雨が落ちてきた。
「これを差しましょう。」
…K夫人から差し出された折畳の傘は、内側だけに模様の有る洒落た物で、そして私は夫人が濡れない様に半歩後ろから傘を差し、何気無い話を続けながら、霧の様な小雨の落ちる湖畔を30分程歩いた。まるで、しかし正しく、ヨーロッパ映画のワン・シーンの様であった。
私が「そろそろ駅に行かなくては。」と云うと、夫人は「そうですね。」と答え、駐車場へと向かった。私たちを乗せ駅へ向かうゴルフの幌は、今度は当然閉められたままで、車窓からの景色も唯でさえ曇っているのに加えて、本当に小さくしか見えなかった。
駅に着くと、K夫人は私に握手を求め、「Magoichi、それでは宜しくお願いしますね。」と頬に軽くキスをした。「承知致しました。お任せ下さい。」と応えると、夫人はこの世の物とは思えない程の美しい微笑を浮かべ、「Salut(さよなら)!」と云うと、優美な所作で赤いゴルフへ乗り込み、走り去った。
駅舎の前に残された私は、カバンから切符を取り出して改札を通り、石造りのホームでジュネーヴ行きの列車を待った。列車が警笛を鳴らしながらホームに着くと、カバンを抱え、タラップを上がって列車に乗り込み、列車が走り出すと、私は窓際に自分の席を見つけて座ったが、暫くすると、窓からレマン湖が見えた。
雨が上がり、霧が少し晴れた様であった。
追記:
この話は、細部に到る迄「実話」である。この「たった一日」のローザンヌの旅とK夫人との邂逅は、筆者の17年間と云う短いキャリアでは有るが、その中でも「最も美しい『旅』と『顧客』」として強く記憶に止まり、今でもディテールに到る迄克明に記憶していて、例えば夫人と散歩をした時の「湖畔の霧の匂い」ですら、想い出す事が出来る。因みに件の屏風は、この旅の2ヵ月後、2004年9月に開催されたNYでの「日本・韓国美術オークション」で売却された。
K夫人とは、その後会っていない。