「瞬間」と「永遠」の調和:勅使川原三郎「MIROKU」@Rose Theater.

サッカーの3位決定戦を観た後の土曜の夜は、友人のCとRのカップルに拠る、我々の為の「誕生日ディナー」にご招待。

このCとRのカップルは、もう涙が出る位に親切で、友情に厚い。妻のバースデーが今月2日、筆者は今月末なので、真ん中を取って一緒にやろうとの企画なのだが、今回もステキなプレゼント共々(流石、筆者の好みを熟知していて「花柄シャツ」であった:笑)、TIME-WARNERビルに在る「A」と云うイタリアン・レストランの食事も本当に美味しく、楽しい時間を過した。食事中の最大の話題と云えば、Rが今度NBCで9月から始める新シリーズ「Law & Order L.A.」、そして一度聞きたかった「完全殺人は可能か」と、「もし自分だったら、どんな方法で殺すか」だったが、流石「殺しのプロ」の話は非常に参考になった(笑)。

そして昨日、日曜の午後は「ワールド・カップ勝戦」が有ったにも関わらず、リンカーン・センター・ローズ・シアターで行われた勅使川原三郎のソロ・ダンス公演、「MIROKU」の最終日に行って来た。

偶々連日TIME-WARNERビルを訪れる事に為ったが、「相変わらず」遅れそうになり、ビル内に在るRose Theaterへと急ぐ。さて今回のこの「MIROKU」公演は、「Lincoln Center Festival 2010」の内の一つであり、「ニューヨーク・プレミア」である。妻に拠ると、氏のNY公演は4年振り(前回筆者は、その時NYに居なかった)で、その昔氏のカンパニー「KARAS」のワークショップに参加していた妻は、勅使川原氏とは顔見知りとの事…詳しい人が隣に居ると安心である。何故ならば、筆者が「アート」と名の付く物で最も弱いと思われる分野が、この「コンテンポラリー・ダンス」だからだ。

会場に入ってみると、最終日にも拘らず残念な事に空席が目立つ。3時開演となると、「ワールドカップ勝戦」と時間がバッチリ重なってしまうので、そのせいも有ったかも知れないが、しかしこれはウチの奥さんも云っていた様に、アメリカ(人)は「舞踏」とか所謂コンテンポラリー・ダンスに疎い、と云うか、ハッキリ云ってヨーロッパや日本等に比べても、相当に遅れているのだろう。因みに勅使川原氏は、パリ・オペラ座やオランダのネザーランド・ダンス・シアターからの依頼で、「振付け」も担当している。

ここで、この「MIROKU」と云う作品について、簡単に述べておこう。アーティスト自身の言に拠るとこの作品は、「稲垣足穂の自伝的小説『弥勒』から発想された作品で、『現実と未来への宇宙的郷愁』と云った独特の世界観を持つ。そして足穂の文中に有る、『壊れやすさ(フラジャイル)において透明であって、だから美しいのだ』と云う部分、その不確かで壊れやすいものに、永遠性を感じる感覚でダンスする身体に共通する」。そしてもう一点、嘗て彫刻家を目指した事が有ると云う氏が、広隆寺弥勒菩薩像を観に訪れた時に感じた、その極めて繊細で柔軟な「動き」から沸き立ってくる美に感動した事も、この作品の原初と為っている事を付け加えておきたい。

公演が始まった。シンプルな「箱型」の舞台に、勅使川原氏が暗闇の中から現れる。妻の解説によると、氏の舞踊の原点は「身体の完全な脱力」に有り、そのダンスに拠って「空間」を構築して行く事だそうで、テンスの掛かった細かい動きですら、一度完全に体の力を抜かねばその表現が不可能なのだそうだ。そして舞台では、そのテンションの掛かった「細かい動き」と、ゆったりとした「大きな美しい動き」のコンビネーションが、ミニマルな音楽とライティングに拠って劇的に演出される。

さて筆者が勅使川原氏の舞台を観たのは、実は今回が初めてだったのだが、結果から云えば「非常に」素晴しかった!一点だけ素人なりに難を云えば、ソロ・ダンスだと云う事と、振付けにほんの少し単調な所を感じた事もあって、パフォーマンス自体が少々長過ぎる嫌いが有ったが(1時間の舞台だったが、45分位が丁度良いのでは無いか)、人間の母胎での発生を思わせる様な振り付け、フラッシュライトを利用しての手や体の影を壁に映し出す演出、ブルーの照明や光と闇に因って創られる「窓や入り口(出口)」、そして現代音楽とその音響とのマッチングも素晴しい…何か美しい映像作品を観る様でもあった。

そして何よりも驚くのは、57歳(!)とは思えない、氏の肉体とその躍動である。贅肉の全く無い体は、その思想的な振り付けを以ってして、たった一人で舞台を支配するが故に非常に大きく見えたのだが、公演後にお目に掛かった氏の肉体は余りにも小さく華奢で、筆者は驚きを隠せなかった程だ。良く云われる事だが、「一流のダンサーは、舞台で大きく見える」の典型の様な方であり、非常ににこやかだが知的で厳しさも垣間見える、或る意味「禅僧」的な方ともお見受けした。一流のダンサーによる、独創的なパフォーマンス…素晴しい一時であった。

公演が終わり家に戻ると、スペイン対オランダの決勝延長戦が幸運にも未だ続いており、贔屓のスペインを応援していたら、決勝ゴールを観る事が出来た。勅使川原氏が別れ際に仰った、「明日からバルセロナなんです。」と云う言葉を思い出し、さぞかし今日からバルセロナの街を歩く勅使川原氏も大変だろうなぁ、等と勝手に想った。

アーティスト自身に拠るこの作品に関する「詩」を添付して、今日は終わりにしたい。(「勅使川原三郎オフィシャル・サイト」より)


それにしても空に期待する
聴こえて来そうな音楽を思う
過去も未来も一緒になったもの、形が形を超えたもの


朝はあるべきように朝である


あるべきようにある
形はあるべきようにある


それを知るのはすこしでもうれしくなれる為だけではない
それは生命の形がまたとない形となって現れてくる現実に直面する事だ
あるべきようにある形


それは朝から始まる
そして、それにしても、期待する


水色の皮膚が氷に溶かされる夜明け
背中を反りかえさせた者は
電気に骨を鳴らしながらだれかを待っていた
口に入れた物は食べ物ではなく
すでに形を失った役に立たない物ばかり
自らが個体である事の限界を悟り始めた頃
青緑の光さえ温かい