「嫋々たる柳」:坂東玉三郎。

民主党が敗れた。しかし自民党議席が伸びた事には、ハッキリ云って驚きを隠せない、と云うか落胆が激しい。

今回の選挙は、正しく小泉純一郎が嘗て行った「郵政選挙」と云う、唯「一点」(今回は「消費税」)のみで争う「悪しき選挙」の極みである。何十年間と権力の座に有る事に因って、腐敗と利権にしがみ付き、沖縄や財政破綻を放置してきた自民党に、政権を奪取して一年にも満たない間に、取り敢えず「仕分け」をしたり成果を見せている民主党、若しくは他党を、何故「総合的」に判断できないのだろうか?そして、何故国民の票が自民に回帰するのかが、全く以て理解不可能である…。

生臭い話はさて置き、今日の話題に…しかしこの今日の話は、「政治家」にも相通ずるモノが有るかもしれない。

さて、生まれも決して良く無く、コネも無く、しかし「際立った美貌」だけを持つ女優志願の少女が、芸能界でトップに上り詰めるには、どんな苦労が待ち受けているだろうか。周りから妬まれ、嫉まれ、出る杭は打たれ、妨害され、奪われ、傷付き、しかし決心覚悟し、その夢を実現する為には、如何なる苦労も厭わずに心身を磨き、芸に精進し突き進むのだろうか。

そして、それが「女形」の場合はどうだろう。花柳界の何処かに生まれ、嘗ては名門で有ったが今では力を失った歌舞伎の家に養子に入り、しかしその「美しさ」だけはズバ抜けた「女形」が、「梨園」の、そして「歌舞伎座」のトップに登り詰める事は可能だろうか…。

その答えを知るべく読み始めた、中川右介著「坂東玉三郎 歌舞伎座女形への道」を読了した。

この著作は、膨大な史料から「のみ」の評論となっており、著者は玉三郎本人には一切取材をしていない。そして、その綿密な玉三郎「誕生」から、その後三島由紀夫澁澤龍彦円地文子篠山紀信アンジェイ・ワイダ、モーリス・べジャール等のアーティスト達から激賞を受け、「『現代』最高の女形」に為る迄の辿ってきた道が、ライヴァルであり芸の師でも有った、六代目中村歌右衛門と云う「『近代』最高の女形」を通して炙り出される所に、この著作の新鮮で面白い点が有る。歌右衛門と云う、ライヴァルと呼ぶには年の離れた、名門家を継ぎ梨園の「女帝」迄登りつめた「真女形」(菊五郎等と異なり、「女形」しか演じない)との比較対照に因って、「玉三郎」が浮き彫りにされるのだ。

しかし、この玉三郎と云う役者は、何と我慢強いのだろう。そしてこの女形は、どちらかと云うと意地悪な役や蓮葉、おきゃんな役、例えば助六の「揚巻」等は嵌るが、「『の』の字」を書いている様なお姫様は似合わないと、筆者も常々思っていたのだが、文中にも有る様に、実は本人もそう思っている節が有るならば尚更であるが、この辺もその正統とは云えない「出自」に拠るのかも知れない。

歌右衛門が居るが故に「歌舞伎座」で良い役を貰えず、しかしその元凶とも云える歌右衛門と云う巨大な存在には敢えて歯向かわずに、じっと「時」を待つ。三島や篠山に見初められても、浮き足立たず、焦らず、それなりの「云い訳をしながら」行動する。干されても叩かれても、じっと我慢をしてチャンスを伺うのだ。

その姿は、一見弱々しく見えるが、風にも靡くが実はかなり頑強で、雪の重さにも耐え得る「柳」の様である。そして歌右衛門亡き後、梨園歌舞伎座の新しい「女帝」の座は、玉三郎のモノに為りつつある。

家もコネも無いが、美貌と才能だけは有ったこの「真女形」の生き様は、「アート」の世界で生き抜く一つの力強い「姿」であろうと強く感じた、読み応えの有る評論であった。