「涙を、獅子のたて髪に」@WALTER READE THEATER。

小沢氏が強制起訴された。

全く以って不透明極まる「検察審査会」と云うシステムに怒りを覚えるのだが、こんな事が罷り通る今の日本の将来は、本当に暗い。そもそもこの「申立」なるモノは、検察審査会法第2条2項・30条により「審査申立は、告訴者、告発者、事件についての請求をした者、犯罪被害者(被害者が死亡した場合においては、その配偶者、直系の親族又は兄弟姉妹)が出来る」とされているにも関わらず、この小沢氏案件に就いては「全国民が被害者という立場で申し立てを行うことができる」と判断して受理したとの事(本当なのだろうか?)。しかも「衆議院選挙権を持つ国民の内、くじで選ばれた無作為抽出の11名」のみが審査員であると云うのだから、この「申立」と「強制起訴」の議決が、本当に国民の「総意」なのかどうか全く判ったものではない(間違っていたら、是非ご教授下さい)。

また、尖閣列島問題も予想通り「領土問題化」して来た様であるし、日本国は此処で心根を入れ替えて政治外交に臨まないと、大変な事に為る…腰抜け政治には、もううんざりだ。

さて「驚愕祝宴」翌日の日曜は、当然の事ながら昼過ぎまでダウン…しかし夜になると、いそいそとディナーの約束へ。

この晩のメンバーは、コロンビア大学日本美術史名誉教授のM先生と織物作家のTさん、そして我等夫婦で、場所はイースト・ヴィレッジの「K」。日曜はシェフのSさんが居ないのだが、前もって云って置いたせいか、色々とサービスして頂き、棒寿司等も何時も通りの美味。M先生は相変わらず大変お元気で、「愛の有る、ストレートな毒舌」(笑)も全く変わらず、ジャパン・ソサエティで始まった「白隠展」の「噂」や、海外に出たがらない日本人に関して等を熱く語られた。

特に「出たがらない日本人」で云えば、例えば素晴しい日本美術コレクションを擁するクリーヴランド美術館の、日本美術担当学芸員は何と韓国人である。別に韓国人がいけない訳では無いが、アメリカ人か日本で有るべきだろうと思うし、しかもそうでない理由は、今では日本の学者やその卵達の中で、アメリカの美術館で働いたり日本美術を研究しようと思う人が、略皆無なのだそうだ。また、国際文化関係の基金などに有る「3年間学費免除留学制度」等の応募者数も、嘗ては1人の枠に3000人もの応募が有った時代も有ったそうなのだが、応募者激減とか…そんなら筆者が行きたい位である(笑)…何と情けない話であろうか。そんなこんなの話で、楽しくディナーは終了。

そして昨日の月曜日は溜まり切っている「代休」を1日貰い、午後から現在開催中の「第48回ニューヨーク・フィルム・フェスティヴァル」の中の企画、篠田正浩監督特集「Elegant Elegies: The Films of Masahiro Shinoda」の内の一本、「涙を、獅子のたて髪に」を観に行った。

この篠田特集は、「暗殺」「心中天網島」「乾いた湖」「夕日に赤い俺の顔」「瀬戸内少年野球団」「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」「処刑の島」「異聞猿飛佐助」「沈黙」、そして「涙を…」の10作品が大画面で一挙に観れる貴重な機会である。今回は自身のスケジュール上、残念ながらこの「涙を…」と「暗殺」位しか観る事が叶わないが、今迄篠田作品は「心中天網島」「沈黙」「はなれ瞽女おりん」「悪霊島」「鑓の権三」しか観ていないので、この監督初期60年代の作品を観るのを楽しみにしていたのだ。

Walter Reade Theaterに着くと、場内は疎らな人…そして上映が始まった。1962年松竹制作のこの作品は、モノクロ92分、主演は藤木孝加賀まり子南原宏治岸田今日子等である。舞台は敗戦の傷跡が残る横浜、物語は波止場で働く日雇い港湾労働者達のストライキ・シーンから始まる。

船舶会社に雇われているチンピラの主人公(藤木)が、食堂の娘(加賀)に恋をし、しかし子供の頃に命を救われた「アニキ」(南原)の命により、組合運動のリーダーを誤って殺してしまうのだが…。貧しい若者の恋を、ブルジョワプロレタリアート、会社対労働組合、敗戦後の日本対アメリカと云った、各階層での「対立と融和」を絡めて描き出すこの作品は、寺山修司の脚本と武満徹の音楽に因って、60年代前半の如何にも「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」風に進んで行く。

寺山と篠田に拠る脚本は、エリア・カザン監督の「波止場」(1954)や「エデンの東」(1955)を髣髴とさせる箇所も見受けられるが、「不具者」「戦災孤児」「スポーツ・カー」等を登場させる寺山独特の「味」も、篠田の「フランス的」演出と混ざり合い、藤木の歌声と共に一種「不思議な、青春ミュージカルドラマ」と為っている所が、妙に好感が持てた。本作のタイトルは、内容からすると少し不思議な感じがしないでも無いが、主人公が恋人と動物園にデートに行った時に暗示される、何時の日かたて髪を揺らす百獣の王である「獅子」に為りたいのだが、未だ「幼さ」故に為れない、そして「アニキ」に代表される「境遇」や「階層」と云った「檻」から出れない、もどかしさの暗喩なのだろう。

藤木や加賀の演技は、当然前時代的で、妙な仕草や急な歌等可笑しい所も有るのだが、脇役陣は豪華で、若き丹波哲郎細川俊夫神山繁小池朝雄近藤正臣等も出演している。しかし特筆すべきは、本作がデビュー作である加賀まり子の何とも云えない「可愛らしさ」と、岸田今日子の「恐ろしさ」、そして武満に因る音楽の「美しさ」である。

加賀の瞳と岸田の魔性は、男を虜とする。そして武満の音楽は、観者を酔わせる…篠田作品をもっと観たくなる様な、若さ溢れる映画であった。