「桑港美術日誌」その壱:桑港の夜は早い。

水曜の朝は5時過ぎに起きて、サンフランシスコへ飛んだ。

しかし毎回思うのだが、ニューヨーク→サンフランシスコ(若しくはロサンジェルス)と云う航路は、同国内だと云うのに6時間も飛行機に乗り、その上3時間の時差まで有る事等とっくに判っている筈なのに、「アメリカとはつくづく大きい国だ」と改めて感じる程、長いフライトなのだ。

「巨大仏」と一緒に購入した、坂本龍一後藤繁雄の「Skmt 2」も4/5程読んでしまいウトウトし始めた頃、「サンフラン」に到着(因みに筆者の同年代の友人は、サンフランシスコを「シスコ」と呼ぶのだが、彼に云わせると「サンフラン」とは、若者特有の呼び方なのだそうだが、本当だろうか?:笑)。

空港を出ると、思いの外の暑さに吃驚する…29度も有るらしい。ホテルでチェックインを済ませ、サンフラン・オフィスに行きスケジュールとメールのチェック、写真での査定等をする。そして夜は、サンフランシスコ・アジア美術館での「Beyond Golden Clouds」展オープニング・レセプションへ。

この屏風の展覧会は、以前主宰館で有るシカゴ美術館で既に観ているのだが(拙ダイアリー:「シカゴ美術館『Beyond Golden Clouds』展と『The Modern Wing』」参照)、同じ展覧会でも異なる美術館でのレセプションは、当然来る「人」も異なるので、それも楽しみに一つである。

地図を見ると、今回宿泊したホテルから美術館迄は歩いて行けそうだったので、「楽勝!」と思い早速歩き始めたのだが、暫くすると急に周りの風景が変わり、何と無く不穏な雰囲気の街並みを通る羽目に…。建物は崩れかけ、黒人は屯し蝿が飛び交う中、道行く人間で唯一スーツを着ている身としては、「散歩モード」を「早足」にギア・チェンジし、速攻でその地を通過したのだが、米国に長く住んでいても「知らない土地」は本当に怖いと再確認。

さて美術館に着くと、レセプションは思ったよりもこじんまりとしている。最近新館長になられたXu氏や、旧知の中国絵画の専門家ジョセフと、先ずは歓談。ジョセフは、この間迄フリア美術館の中国絵画の学芸員だった筈だが、つい2週間前に此方に着任したとの事…お互い来月に行く予定の、台湾故宮で開催される「南宋展」での再会を約束する。その後、シカゴ美術館のJ女史やロンドン・ディーラーのP、ニューヨークからのEや地元のH等、そして偶々茶道藪内流若宗匠の薮内紹由氏も来て居られ、皆さんにご挨拶頻り。

このサンフランシスコ・アジア美術館は、文字通り中国・日本・韓国・東南アジアの素晴しい美術品を収蔵しているのだが、レセプションの食事も正にその通りで、マグロの赤身・平目の握りや太巻き、揚げ餃子や餡かけ肉団子、パパイヤ・サラダ迄「アジア一色」、味もかなり美味しく大満足であった。

レセプションを出て時計を見ると8時半過ぎ…ニューヨーク時間では11時半である。疲労と時差ボケの為、結局その晩はホテルへ直行しダウン。

サンフランシスコの夜は、早かった(笑)。