「龍沢寺」にて。

久々にやられた…先週末はテレビ出演を除いて、完璧に「寝た切り中年」状態だったのだが、それは単に酷い風邪に罹った所以である。

そして昨朝、漸く病院に行ったら、医者曰くインフルエンザでは無く(鼻の奥を綿棒で強かにほじられ、しかし、ものの15分で判明した)、喉が赤く酷く爛れて居るので、其処からの発熱だろうとの事。

さて今日は、未だ完璧とは云えない迄も、流石処方箋薬の力で快復中の体を鼓舞し、以前より谷中全生庵の平井住職からお誘いを受けていた、静岡県三島に在る修行禅寺、龍沢寺の「虫干し」を訪ねた。

龍沢寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺で、実質的開山(1760)は白隠慧鶴、非常に厳しい雲水修行の場として、高名な寺である。

さて筆者と龍沢寺とのご縁は、筆者が幼少の頃からご指導を頂いた、政治思想家Y先生が玄峰老師の下、一時期此処に住んでいらした事、妻の師である観世流シテ方S師が参禅されていた事、そして筆者が三島に大顧客を持っていた数年間、この街に来る度に必ずお参りに来立ち寄った位であるが、今日ご一緒して頂いた平井住職も住職のお父様も、雲水修行を此処龍沢寺でされたとの事…ご縁とは、不思議に繋がって行くものだ。

朝、家を出る時には暗かった雨空も、10時前に三島駅に着く頃には晴れ間が覗いている…日頃の「行いの良さ」は、確かに出るモノだ(笑)。新幹線ホームからの階段を降りると、お手伝いで前日から龍沢寺入りして居られる平井住職の笑顔が、改札口に見えた。

住職との嬉しい再会を交わすと、早速車で龍沢寺に向かう…3年振り位だろうか。

参道入口で車を降り、平井住職と2人並んで、雨上がりのむした苔の緑も鮮やかな参道を、住職から寺史や修行時代の思い出等を伺いながら、そして東京とは余りにも異なる、新鮮な空気を楽しみながら、ゆっくりと登り歩く…何と素晴らしい気分なのだろう!

境内に着くと、先ずは虫干しをしている掛軸が並ぶ「本坊」へ。

年一日しか無い「虫干し」の日には、観覧者も多い。寺縁の有る白隠さんや東嶺禅師の絵画や墨跡、大雅、慈雲や南天棒の書の他にも、蘆雪や探幽の絵画等等、色々と興味深い作品が並び非常に勉強になった。

作品を拝見し終えると、平井住職と外に出て、木の葉が色付き始めた境内を散歩がてら、元富豪の庭園に有った六角形の喫茶室を転用したと云う「鐘楼」や、中に入り物凄く重い棒を押して一回転させれば、其所に有るお経全てを読んだ事に為る「経蔵」、もう何年も使用されていないと云う、中々素晴らしい茶室等を拝見。白隠さんや玄峰老師の墓参もさせて頂く。

一周すると道場に戻り、一休み。住職とお茶を頂きながら、昨今の日本の体たらく、海外に出たがらない若者、「就職難」とは笑止千万の「中小嫌い・高望み」新卒学生に就いて等、憂慮すべき話題に終始する。

こんな話を熱くしていると、天と地程レベルは違えども、終戦直前に日本の将来を案じたY先生と玄峰老師が、当時未だ首相では無かった鈴木貫太郎を訪ね、真意を質した話を思い出したりもしたのだが、龍沢寺とは「憂国を語るべき場所」なのかも知れない。

話は尽きなかったが、「それに付けても、腹は減る也」と云う事で、三島名物の鰻を食べに、住職と有名店の「桜家」へ。

店では、住職が修行時代からのお知り合いの「大女将」(因みに、天現寺の懐石料理「S」のオーナー数寄者、Nさんの叔母様に当たる)が出ていらして、ご挨拶。注文していないサービス料理が幾つも出て来て、今度こそ注文した鰻丼が来たと思ったら、何と「間蒸し」になっていた…大満足の鰻パラダイスであった!

結局、住職に大変ご馳走になってしまい、腹ごなしがてら駅まで歩いたのだが、2人で切符を買っている最中に次の新幹線が5分後に出る事が判明し、急ぎ走ったが間に合わず、コーヒーを飲んで時間を潰す羽目に…しかし此の「乗り遅れ」が、又もや「ご縁」を運んで来るとは、その時は知る由も無かったのである!

さて今度こそ早目にホームに上がり、思いの外混んでいる自由席号車に乗り込むと、男性一人だけが通路側に座った、3人掛けの列を「奇跡的」に見つけた。席を確保する為に行ってみると、その座っている男性に何処か見覚えが…何と、能楽シテ方観世流の、勝海登師では無いか!

一昨日、イタリア公演から帰国されたと云う勝海師と住職を、各々ご紹介した後は、「面」や「仏教的能の曲」、「能と歌舞伎に於ける『俊寛』の違い」等に就いて、東京迄3人で楽しく語る。

平井住職に感謝をしながら、三島と云う土地、龍沢寺、そして相変わらずの「能縁」の強さに我ながら驚いた、楽しくも有意義な「勤労感謝の日」の1日、であった。