「老松瑞雪披」。

今日の最高気温はマイナス2度、最低はマイナス8度…ニューヨークは、愈々寒くなって来た。

さてカタログ作りも本格化して来た中、「忙中閑有り」では無いが、今日は朝から裏千家での「初釜」に妻とお呼ばれ。実は今日はもう一件、若手目利き古美術商の柳孝一氏とNY武者小路千家「随縁会」に拠る、氏のギャラリーでの「初釜」も有ったのだが、昨年末お知らせを頂いた時は夫婦とも既に日本に行っており、その日が裏千家と同日と知ったのが大分後になってからだった為に、初めての欠席となってしまった…柳氏の「初釜」には素晴しい茶道具と美味しい御菓子、点心が出るので毎年楽しみにしていたのだが…誠に残念。

しかし「ドッペルゲンガー現象」でも起さない限り、2箇所のお茶会に同時出席する事は不可能なので(笑)、悔やんでも仕方が無い。妻と支度をし、未だ雪の残るセントラル・パークをタクシーで走り抜け、東69丁目に在る「CHANOYU CENTER」へと向かった。

以前此処でも記したかも知れないが、この「裏千家NY茶の湯センター」は外観は単なるタウンハウスにしか見え無いが、ドアを開けて一歩中に入れば、其処には屋内にも関わらず蹲や茶庭があり、小間や広間も有る「此処は何処?」な空間なのである。またこの建物は、自殺した孤高の現代美術家マーク・ロスコの嘗てのスタジオでも有り、今でも罷り間違って茶室に寝泊りでもしよう物なら、夜中にロスコの足音が聞こえて来るそうだ…その上、昨年亡くなった、我々も大変お世話になった元所長の山田尚氏が、そのロスコとあの世で一杯遣ってると思うと、もう煩くて眠れなくなるのも頷ける(笑)。

そんなこんなで裏千家に着き、新年の御挨拶等をしていると、三々五々寄付に客が集まり始める。我々が出席した回が今年の「初釜」の第一回目らしく、相客にはアメリカ人茶人D氏夫妻、大統領を先祖に持つアメリ裏千家理事長のG氏夫妻、長くお茶を遣ってらっしゃるM女史、筆者の親戚でも有るKホテル副総支配人のK氏夫妻、ドナルド・キーン・センターのA氏、日本国公共放送総局長W氏夫妻と云った顔触れであった。

客が揃い茶室に赴くと、赤い毛氈とお正月らしい床飾りが眼を惹く。D氏を正客に皆座り、亭主が入って挨拶が済むと、炭点前がそろそろと始まった。炭点前が無事終わると、今度は点心。朝から何も食べていない筆者は、正客の様子も窺わずお重の蓋を開けようとして、妻に脇を突かれる…「客」の作法を、今一度しっかりやり直さないといけない…今年の目標である。そしてお重に入った今年のお節料理だが、こう云っては何だが例年よりかなり美味しく、ちょっと吃驚…その後お雑煮の椀が出され、英語・日本語による会話と共に和気藹々と食事が進む。途中お酌をして頂いたT先生にご返杯を差し上げると、なみなみと注がれた御酒をゆるりと呑まれて満足そうであった。

主菓子の「花弁餅」を頂くと中立となり、皆一斉に足を伸ばす。そして合図が有り、メイン・イヴェントの濃茶点前が、アメリカ人F先生により粛々と始まった。

濃茶が練り上がり、正客のD氏が「和楽造島台」のお茶碗でゆっくりと頂くと、何時もの様に「オイシイ!」の一声…筆者は、この何時も周りを和ませるD氏の一言が、大好きなのである!三椀点てられた濃茶が終わると、今度は鶴屋吉信製の「卯」文煎餅と亀甲の干菓子(これは「兎と亀」であろうか)が出され、薄茶へと茶は進む。薄茶の主茶碗はD氏蔵の唐津、替は浜田庄司作色絵と最近某大学の「学園長」になられた「殿」の青井戸。

そして今年の初釜は、メンバーの取り合わせも良く、正月らしい雰囲気で和気藹々と終了した。

帰りがけに今一度床の軸を見ると、淡々斎筆の

「老松瑞雪披」
(「ろうしょう、ずいせつをかぶる」:年老いた松の木が、キラキラと輝く雪を被り、誠に目出度い様)

の文字が、今年「年男」の筆者の心に思いの外自然に入って来、今は未だ「老松」では無いが、何時の日か人様にその様に云われる老年男になるぞ、と新年の誓いを立てたのであった。