「疲労、怒りと血圧のための音楽」:クリーヴランド管弦楽団@カーネギー・ホール。

昨日の土曜日も、オフィスに出て仕事…。

様々な怒りの為に上がりに上がった血圧を抑えながら、昼間はプルーフィングを頑張り、その足で夜8時からカーネギー・ホールで開かれた「クリーヴランド・オーケストラ」のコンサートへ、頭を冷しに行った。

昨晩の曲目は、ワーグナータンホイザー序曲」、シューマン「ピアノ協奏曲イ短調 作品54」、そしてバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。指揮はフリーヴランドの音楽監督を務めるオーストリア出身のフランツ=ウェルザー・メスト、シューマンを弾くのはフレンチ・ピアニストのピエール=ローラン・エマール、アメリカのオーケストラでは有るが、ヨーロッパの香り漂う顔触れである。

最近お気に入りの「Tier 2」のボックスに入って下を見ると、客席は略満員、そして定刻より5分遅れで、モジャモジャ頭のメストがステージに現れた。メストは非常に東ヨーロッパ的な風貌で、しかも友人で日本美術ディーラーのEにソックリな為、最後迄Eが振っている様な錯覚に陥る程で有った…血縁者では無いだろうか(笑)。

さて最初の曲の「タンホイザー」だが、開始早々の「管」が何処かの「菅」同様、何とも頼り無く大丈夫か?と心配になったのだが(笑)、「弦」が入って来た途端に演奏が締まり、其処は流石クリーヴランド…が、元々ワグネリアンでも無い筆者だが、それでも結構好きな曲の一つだったので、正直残念な演奏であった。

タンホイザー」が終わると、楽団員達は一度席を立ち、ステージにピアノが運び込まれる。そして再び楽団員が着席し暫くすると、ピアニストのエマールが登場、シューマンのピアノ・コンチェルトが始まった。このシューマンのピアノ・コンチェルトは、元々筆者の好きな曲では有るが、最近奥泉光氏の小説「シューマンの指」を読んでから、以前にも増して聴く機会が増えた…因みに家での愛聴盤は、リヒテルである。

さてエマールの演奏だが、リヒテルのそれとは著しく異なり、まるでショパンの如し…そして聴けば聴く程、この曲は難曲なのだなぁとひしひしと感じてしまった。この難曲をエマールは頑張って纏めたが、少しフェミニン過ぎて物足りない。「タンホイザー」に続き、マァマァと云った出来であった。

インターミッションを挟んで、愈々最後のバルトーク。此処迄の演奏がイマイチだった為に期待も大きかったのだが、これがまた最高に素晴しい演奏で、それ迄の不完全燃焼感は一気に解消されたのだった!恐らくライヴで聴いたバルトークの演奏では1,2の出来で、流石クリーヴランドの「弦」…感動である。何と云う緊張感、何と云うアンサンブル…この曲は、ピアノやチェレスタ、各種パーカッションの入るややこしい曲だが、素晴しい弦のリードと、例えば第3楽章の冒頭の、歌舞伎の「柝(き)」の様に打たれる「木琴」の演奏に象徴される様に、非常に繊細なパフォーマンスで有ったと云って良い。

しかしこのバルトークと云う作曲家は、何と才能が有るのだろう!美術の世界で云えばジャコメッティの様に、近代と現代の双方を向き、その芸術の近現代性双方を有した「架け橋」として再評価が為されるべきで、この「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」と「ヴィオラ協奏曲」は、その「普遍的現代性」とも呼ぶべきバルトーク芸術の極み・白眉である。「最高の」バルトークであった。

そしてコンサートは10時頃に終わり、カーネギーを後にすると、夕食を取りに妻の待つチェルシーの「B」へ。

行ってみると、其処には常連の友人達がたむろしており(笑)、フランス人アーティスト兼茶人のPやルーベン・ミュージアム顧問のJ、某有力アート・ニュースペーパーのシニア・エディターのJ、ジュエリー・デザイナーのNやパーカッショニストのV等と共に、カウンターを占領し、ワイワイ。昼前から何も食べていなかった事も有り、ウニのパスタやブランジーノの炭火網焼きを食べ、お腹も満足…疲労と怒りとで荒んだ心と、上がり切った血圧を労わるには余りある、素晴しく楽しい夜となった。

感謝すべきは、毎度の事ながら、「友人」と「音楽」である。