カズオ・イシグロの「リアル・フィクション」。

昨日、来日した。

出発前日の水曜は、忙しい事極まりなかったのだが、昼頃からトライベッカに赴き、今週末で終わってしまう知り合いのアーティスト、Rの展覧会へ。

Rの作品はバワフルで、そしてかなり制作時間の掛かる作品なのだが、原色の何処か「ブラネット・サーフェイス」ライクなテクスチャーが凄い。大柄で気の優しい作家本人に拠る、解説付き作品鑑賞の後は、彼が「顔」らしい、チャイナ・タウンのお洒落な飲茶屋「R」で、旨い飲茶を食い捲り。

当初、その後に控えていた「ニューヨーク・オブザーバー」紙の撮影の事を考え、只でさえ大きな顔が、食べ過ぎでパンパンに為らない様に気を付けて居たのだが、プリップリッの海老蒸餃子を食した瞬間、そんな計画等、いとも簡単にぶっ飛んで行ったのだった(笑)。

その午後の撮影も無事済んだ夜は、ネイバー・アーキテクトのSを地獄宮殿に呼び出し、3人で家ディナー。

思いの外盛り上がってしまって遅くなり、夜中1時過ぎからパッキングを開始する羽目に。何とかパッキングを終えると仮眠し、出発当日は6時に起きて、先ずはオフィスに立ち寄り、東京での内覧会の為の、50万ドル相当の版画をピックアップし、JFKへと急ぐ。空港では、チェクイン後「カルネ」と作品を持ってカスタムに赴き、スタンプを貰ってラウンジに着いたが、その時点で既にグッタリしてしまっていた。

搭乗した機内は超満席で、聞くとファッション・ウィークとドッグ・ショウの人が多いとの事…格納庫も犬だらけらしいが、本当だろうか(笑)?そして碌な映画やヴィデオが無い中、今回の「ANA009便」で見つけたアートは、「宝石」の様なカズオ・イシグロの作品であった。

ご存知だとは思うが、英国人作家カズオ・イシグロは長崎生まれ。5歳の時に、海洋学者である父親の仕事の関係で英国へ渡り、其のまま滞在し続け大学を卒業、当初ミュージシャンを目指すが挫折し、小説を書き始める。その後英国に帰化し、王立文学協会賞をや英国の最高文学賞ブッカー賞」を始め、幾つかの重要な賞も受賞している作家だが、個人的には「誰かさん」より、よっぽどノーベル文学賞に相応しいと思っている。

それはさておき、昨日観たイシグロ原作の映画は、新作映画「Never Let Me Go(邦題:「私を離さないで」)」と、此方は何回か観ている「The Remains of the Day(邦題:「日の名残り」)の2本。

日の名残り」は、筆者も大好きな名作中の名作で、原作は1989年度のブッカー賞受賞作。「如何にも」なジェイムズ・アイヴォリー監督に依り1993年に映画化され、「バトラー」アンソニー・ホプキンスと「ハウス・キーパー」エマ・トンプソンの、素晴らしい演技が際立つ作品である。が、より驚くべきはそのイシグロに拠る原作で、幾ら5歳で渡英、全教育を英国で受け帰化し、現在日本語が喋れないと知っていても、彼処まで繊細に「英国人」が描かけるのか、と驚愕する他は無い。

そして、イシグロがエグゼクティブ・プロデューサーも務めている、2010年度マーク・ロマネク監督作品「私を離さないで」は、2005年度のブッカー賞最終候補作が原作と為っており、現代を舞台とした一種のSF作品である。臓器ドナーに為るだけの為に、厳格な寄宿学校で育てられた、2人の少女と1人の少年を通して語られる、人間の「命の尊厳と、生の意味」を深く考えさせられる、重厚な作品であった。

この昨日観た2作品で、イシグロは極めて英国的な叙情的田園風景を背景に、「表に出ない人々」、そして「自己犠牲と『尽くす』人生」にスポットを当て、彼らの性格や立場を徹底的に描く事に因って、人間の根本的な「生」の意味を問い続ける。

そしてこの「私を離さないで」では、主演のドナー達、特にキャリー・マリガンアンドリュー・ガーフィールドの演技が素晴らしく、キーラ・ナイトレイシャーロット・ランプリングが脇を固めているが、何よりもこの作品では、例えば「ノルウェイの森」等とは全く異なる「生死観」が描かれ、それは「希望」が如何に「生」の鍵で有るかと云う事で有り、その思想はイシグロがドナーと為る少年少女達に、「死ぬ事」を「Completed(完遂)」と呼ばせる事に象徴されるのだ。

日本生まれの英国人、カズオ・イシグロの描く登場人物や背景は、余りに美しく映像的であるが、彼が映画脚本を担当したもう一作、「The White Countess」(邦題:「上海の伯爵夫人」)でも同じ様に、決してイシグロ自身が経験した「人」や「世界」では無い。そして彼のその「リアリスティックで、イマジネイティヴなフィクション」は、英国的且つ、恐らくは日本人的な「美しき言の葉」の感性を強く感じさせる。

混血が進むと、人間は美しく為ると良く聞く。本人は否定するかも知れないが、イシグロの文学世界もそうなのかも知れない。