先決事項。

しかし、今回日本に来て思っているのだが、この国のメディアや有識者には、本当に物足りない。

チュニジアから始まり、エジプトでムバラク政権が倒れ、バーレーンサウジアラビア、クェート、リビアで国民に拠る反政府・民主化運動が起きている昨今、「圧政独裁制から国民を解放する運動は、素晴らしく正しい事である」と称賛するのは尤もだが、何故誰一人として「では『我が国の民主主義』は、本物なのだろうか?」と云った、「人の振り見て、我が振り直せ」的発言をする者が無いのは、何故だろうか…。

それは、例えば小沢氏強制起訴と云う、検察が厳正かつ執拗な捜査の末提出した不起訴決定を、得体の知れないたった数人の人間達が、国民が信用に値する証拠等を全く開示する事無く、いとも簡単にひっくり返してしまう事。例えば日本国民が、地方自治体の長を直接投票で選べても、宰相を選べない事。そして戦後65年経っても、未だに嘗ての占領国からの真の独立を果たし得て居ない事、等に就いてである。

こう云う事を考えると、今中東諸国が民主化に揺れ動いている世界の中で、我が国に「真の民主主義」を論じる権利が、本当に有るのかどうか、甚だ疑問で有るのだが、そんな疑問を提出する有識者も居ない…。

先ずは人の事より、自分をしっかり質さねばならないのは、必然。それが出来ない国家の発言等、誰も聞く耳を持たないのは自明、内政が駄目だから、ロシアや中国に領土問題でも付け込まれるのだ(怒)。

さて来日初日の昨日は、諸々の雑務を済ませると、夕方から地下鉄と「ゆりかもめ」を乗り継ぎ、「日の出」と云う場所に在る「TABLOID GALLERY」へ…日本現代美術のコレクション「高橋コレクション」が、今迄の日比谷から此方に移った為の、オープニング展覧会と記念セレモニーに出席する為であった。

この「高橋コレクション」に関しては、今更多くを語る必要も無いだろうが、精神科医である高橋龍太郎氏が、13年と云う短期間で集めた、会田誠天明屋尚山口晃鴻池朋子等の「ミヅマ系作家」のマスター・ピースを筆頭に、ヤノベ・ケンジや加藤泉、町田久実や舟越桂から奈良、草間、村上、横尾迄をカバーする、凡そ1500点にも及ぶ日本現代美術のコレクションの事である。

会場に着くと、もう大分人が来ていて、知り合いも多い。来月ニューヨークのジャパン・ソサエティでの展覧会にも、その作品が出展される作家の天明屋尚氏、その扱いギャラリストの三潴末雄氏や他のディーラー達、この晩の記念座談会に出演する山下裕二先生や、某競合会社のY氏等、旧知の方々とのご挨拶頻り。

Y氏とは、氏がギャラリー勤務時代からの友人なので、今はお互いにライヴァル会社勤務とは云え、気が置けない方なので、お互い隣に座り世間話をしながら、そろそろ始まる座談会を拝聴する事にした。

座談会の出演者は、前述の高橋氏、山下先生と三潴氏の他、「山本現代」の山本裕子氏の4人と司会の方。
略1時間に渡る対談では、やはり山下先生の持論に、強い共感を得た。日本の現代美術(と、その作家とギャラリー)は、外国に媚を売る必要は無い。「外人等に判って貰わんでもイイ、欲しけりゃ、此方に買いに来い!」…全くその通りで有る。

何百年前の日本美術も、21世紀の今、海外マーケットできちんと評価されているでは無いか。それは日本美術のクオリティが、世界の如何なる美術の中でも、至高で有ると云う事実に他ならないからである!

イヴェントが終わると、最近K談社から短編集を出し、小説家としてもデビューをした、アーティストのMMさんと連れ立って、神楽坂へ移動…現在1年間の日本留学中のコロンビア大日本美術史准教授のMと、彼のパートナーのT君とのディナーに赴いた。

和食店「来経(きふ)」で待ち合わせ、季節の料理と楽しい会話を楽しんだのだが、何時も思うのだが、Mの日本語と日本文化に関するレヴェルはスゴい…Mも云っていたが、文化の理解は、やはり「言語」からである。

そしてその言語たる物、自国言語の習得が先決である事は、云うまでも無かろう。

中身がしっかりしなければ、外に出ても意味が無く、外に一度は出てみないと、中身が判らない。が、中身のクオリティさえ上がれば、何も云わなくとも「向こう」からやって来る。

政治もアートも、である。