「鎮魂」:坂本龍一・ソロ@「Concerts for Japan」。

昨日は、長い一日だった。

先ず午前中は、友人の現代美術家砂入博史氏の処女映画作品「Making Mistakes」(→http://www.youtube.com/watch?v=Ofl8yKRcFBQ&hd=1)のプレミア試写会の為に、ニューヨーク大学の「アインシュタイン・オーディトリアム」へ。

ニューオーク大学で教鞭も取る砂入氏のこの作品は、昨年起きたチベット地震のその後の復興と、その足で見て廻ったチベット各地の「顔」と人々、文化や宗教、民族の融合や拒絶を大自然を背景に映し出す「ドキュメンタリー・フィルム」である。

会場には顔見知りのアーティスト等が集まり、若い友人のギタリストF君の顔も。彼はこの作品で、冒頭に使われているサティの曲を弾いていて、それが余りにも美しく、この作品への期待を嫌でも高める。そしてこの作品は、非常に美しく自然で、そして何よりも「人」を「其の侭」に映し出すのだ。

チベット各地の、例えば運転手、タンカのアーティスト、大学生やモズリム食堂の店員、馬に乗った少女や山羊を抱き抱えた少女、僧院に入ったばかりの少年等、チベット人達の素顔と本音を引き出す「手法」と「粘り強さ」は、並大抵では無い。

映画の最後の方で、高地の湖の近辺で少女が屯している所に、砂入氏が「歌を歌って欲しい」と願い出るが、シャイな少女達は中々応じない。50元と云う彼女達にとっては大金の「お礼」を上げると云っても、携帯(しかも「ピンク」の!…レセプションは大丈夫なのだろうか?)をチラチラ見たりしていた末に、最終的に一人の馬上の少女が歌を歌うのだが、これが又大変に素晴らしい。まるで日本の民謡を歌う時の様な発声法で、しかしそれとは全く異なり、砂漠を背景に高らかに響き渡る歌声は、余りにも美しかった。「チベットの今」を知るに、非常に勉強となる一作であった。

そして夕方からは、ボランティアで皆が頑張っている「Concerts for Japan」の最終回(第5回)、夜6時開演の「坂本龍一ソロ&ビル・ラズウェル With GIGI」の公演を観にジャパン・ソサエティへ。

この「Concerts for Japan」の第4回は、この日昼1時より開催された「フィリップ・グラス&ハル・ウィルナー、ルー・リードローリー・アンダーソン&ジョン・ゾーン」で、こちらも大盛況だったらしい。そしてこの最終回の「坂本龍一ソロ」には、ここで以前告知をした様に、我妻が「能」をモティーフとした謡と仕舞で、ゲスト出演する事と為っている。

さて会場に行ってみると、凄い人だかりで、それはジャパン・ソサエティが催していた12時間連続のライヴ(「SJB」の2回の公演は「ガラ」となっている)に来た人達と、勿論「教授」を聴きに来た人達である。時間は5時半頃、友人や顔見知り、メディアの方々やボランティア・スタッフ達との挨拶の連続だったが、前夜「舞」のマイナー・チェンジと興奮の為余り眠れなかったゲル妻は、とっくに控え室に入り紋付袴に着替えて居る頃だ。

そして午前中の試写会でも会ったF君と待ち合わせし、早速超満員の会場へと入り、席に着く。

席に付いても、この時ばかりは何とも落ち着かず、それは陳腐な云い方をすれば「娘の学芸会を観に来た親」の心境で(笑)、それは「ちゃんと舞えるか、ちゃんと謡えるか、転ばないか、そして『アート』としてきちんと成り立つだろうか」と考えて、此方の方が緊張してしまうからであった。

前の公演がかなり押して、20分程の遅れで会場の照明が落ち、暗闇の中で二人の人影が登場したのが薄っすらと見える。愈愈「教授」と「ゲル妻」の即興競演の開始である!

暗闇がほんのりと明るくなり、教授がピアノの中の弦を弾いたり擦ったりし始める。暫くすると正座していた妻が立ち上がり、そろそろと舞を始める。紋付袴姿がライトに映し出され、扇が鏡の様に光を放つ。

そもそも、教授の「能」をモティーフとした謡・仕舞とのコラボのコンセプトは、震災で亡くなられた方々への「鎮魂」、そして妻がその「鎮魂」の為に選んだ「基」と為る曲は、「江口」のキリ(最後の部分)。お能では、追善等の時に謡う曲は限られていて、それは「融」「卒塔婆」とこの「江口」位らしいのだが、最後の場面で遊女江口の君が白象に乗った普賢菩薩と為り、西方浄土へと旅立つこの「江口」が、亡くなった被災者の方々への「手向け」に最も相応しいと考えたからであった。

普段よりもゆったりとした、そしてドラマ性を出来る限り排しミニマルに纏めた、しかし何とも「気」の入った、或る意味「山海塾」を思わせる様な舞に、教授の幻想的且つ魂を泡立たせる様なピアノが共鳴する。「嫁」を褒めるのは気が引けるが、流石「型」は何とか様になり、教授のピアノと相まみあって「ニューヨークならではの『YUGEN』」を紡ぎ出していたと思う。

舞終わるとゲル妻は、暫くゆっくりと座り、教授のピアノに耳を傾ける…そして「謡」が始まった。

ゲル妻の声は女性としては低い…しかし男性に比べると当然高いので、謡の場合「音程」が難しい。家での稽古の時も、低音部が聞き辛くなる箇所が有り、会場ではマイクを使用しない事から、観衆に聴こえないのでは無いかと危惧したのだが、正直少しそういった箇所が有った…が、妻は良くやったと思う。

それは何故なら、教授のピアノとの「コラボ」に関して云えば、「謡」のパートの方が「舞」のパートよりも良かった様に思うからである。労を労う意味で「夫バカ」的に最後に妻を褒めれば、彼女の「鎮魂」は、云ってみれば「巫女」的な憑代の存在と為る事に拠って実現されるもので、この即興コラボレーションで舞い謡った彼女のアートは、決して「能」では無い。それは、「能」のプロとして内弟子迄を過ごした「彼女独自の『即興舞踊』である」と夫である筆者は理解しており、その意味で今回の教授とのコラボは、大成功であったと贔屓目無しに思ったのだ。

無事コラボを終え、妻が引っ込むと、デヴィッド・シルヴィアンに拠るタルコフスキーの詩の朗読に合わせての、教授のソロ。それが終わると、今度は美人ヴァイオリニストが登場し、「荒城の月」と「Smile」を演奏し、教授のライヴは終了。代わって登場したコンサート・シリーズの「オオトリ」、懐かしのビル・ラズウェルは、奥さんのGIGIを率いてノリノリのステージを見せつけ、「Concerts for Japan」は無事全日程を終了した。

終演後は、控え室で坂本教授にご挨拶。最近京都や日本の古典文化に凝って居ると云う教授は、見るからに「大学教授」の様で、しかし礼儀正しく非常に気さくな方であった。

帰りには、企画立案者であるにしなさんと、この晩頑張った妻を労う為に、ボランティア有志の11名で簡単な打ち上げを「T」で。100%ボランティアで、全員忙しく自分の仕事をやりながら、この様な大仕事終えた満足感と、こう云った仕事の「難しさ」をも含めて語り飲み食い、「被災者の方々へのエールになったかどうかは未だ判らないが、やれることは全てやった」とのコンセンサスを得た…未だ、昨晩の収益金(寄付金額)は判らないが、少なくとも5回公演で8万ドルは下らないと思う。

ジョン、あやさん始め、皆さん本当にお疲れ様でした!そしてゲル妻、本当に良くやった…この孫一、鼻が高いぞよ!

http://news.tbs.co.jp/20110410/newseye/tbs_newseye4696522.html

http://www.fujisankei.com/video_library/event/rsakamoto.html

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110410/k10015210181000.html

http://www.sitesakamoto.com/whatsnew/