レクイエム、或いは「山川草木悉皆成仏」:「義援能」@観世能楽堂。

九州が梅雨入りしたそうな…肌寒さと、雨に混じって居るかも知れない放射能に戦く、震災後の日本に慣れない自分が居る。

そんなそぼ降る雨の中、昨日の夜は、観世会主催の「東日本大震災義援能」を観に観世能楽堂へ。

昨日の「能友」は、能鑑賞人生初体験だと云う、仲の良いニューヨークの友人のドイツ人現代美術家、インゴ・ギュンター。

震災当日もお台場の「未来館」で展示中だった彼は、先日迄被災地に赴き、其地と世界中とを結んでの「人と自然」の関係性をクリエイトする、或る新しいアートを企画中の作家である。
インゴと駅で待ち合わせて松涛の能楽堂に着くと、堂内は超満員…友人の能楽師に聞いたら、昨日の義援能は大人気、昼夜2回公演は全て売り切れで、キャンセル待ちも100人以上居ると云う。

ニューヨークに居た事で、この公演の事を知ったのが遅かった事も有り、今回の席はワキ正面後方。取れただけでも感謝せねば…と席に着くと、暫くして観世宗家が舞台に登場し、挨拶が始まった。

宗家の挨拶は簡明で、この義援能の趣旨、則ち能楽はこの700年の間、そもそも「鎮魂の舞台芸術」(レクイエム)としての役割を果たして来た。例えば、神社仏閣が災害や戦争で破壊された際には「勧進能」が催された様に、社会が混乱した時に、社会寄与の為に演能をして来たからだ、とのお話で、入場料収入全額が朝日新聞の救援募金に寄託されるとの事である。

そして、愈々開演。先ずはお仕舞が三番有り、その後は野村萬師の狂言「鐘の音」…「金の値」と「鐘の音」を間違えた、太郎冠者が可笑しい。しかし今でも鎌倉に実在する、古刹の鐘の音を褒めたり貶したりの「評価」は、「大丈夫か?」とも思う(笑)。

狂言後は、再び仕舞が六番有って、家元後嗣の三郎太君や、観世恭秀・芳伸両師、野村四郎師等のベテランが出演。

仕舞が終わると、今度は観世銕之丞師の舞囃子頼政」で、大皷には亀井広忠氏の顔も見える。腰掛けた侭で、微妙な感情を表現する銕之丞師の、気合いの入った「頼政」は、インゴも感動の流石の出来で有った!
そして此処でインターミッション。足腰を伸ばす為に出てみると、見覚えの有るお顔が…長いお付き合いの室町水墨の専門家、S先生では無いか!聞くとS先生は、廃曲に為っていた「天橋立」に関する曲の復曲を、宗家の依頼でお手伝いしたそうだ…嬉しい久々の再会でした。

席に戻ると、この日最後の曲、宗家がシテを勤める「杜若 恋之舞」が開演。

ご存知の方も多いと思うが、この曲は伊勢物語の「八橋」に題材を取っており、業平の詠んだと云う「か・き・つ・ば・た」の頭文字を取った歌、

唐ころも 着つつ馴れにし 妻しあれば 遥々来ぬる 旅をしぞ思う

の功徳に由って、非情の草木も成仏出来ると云う「杜若の精」がシテと為る、仏教思想に基づく世阿弥の名作である。

観世宗家の「鬘物」は、舞も謡も素晴らしく美しく、流石に気品溢れる舞台と為り、世の全てが成仏すると云う意味で、震災後の「鎮魂歌」に誠に相応しい舞台で有った。

終演後は、大満足のインゴと神楽坂の「来経」で食事。

インゴが被災地を廻った話や新プロジェクト、そして鎮魂と能、自然と人について、季節のツマミを味わいながら、夜更け迄のんびりと話をした。

山川草木悉皆成仏。