美しき日本の「言の葉」。

今日は「七夕」…日本の伝統的「五節句」の一日だと云う事と、昨日「追慕歌」について書いていた時に、ふと思い出した「日本の歌」が2曲有ったので、今日はその事を。

その2曲の内の1曲は、「海ゆかば」。

実は筆者がこの曲の存在を知ったのは結構最近の事で、ここ10年以内の事である。所謂「軍歌」の一で有るが、某古美術商の方が、カラオケをご一緒する度にこの「海ゆかば」を直立不動で歌われるのが印象的だったのと、歌詞が非常に特殊で有る事がこの歌を覚えるきっかけと為ったのだが、それもその筈、この歌詞の典拠が「万葉集」だったからである。

作曲は信時潔、そしてこの「海ゆかば」の詞は、万葉集巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」の大伴家持長歌から採られている。


海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山ゆかば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ


最後の「かへりみはせじ」には、「長閑(のど)には死なじ」と云うヴァージョンも有るらしく、これは家持に因る改変の結果とも云われている。読んでの通り、「大君」(天皇)への忠誠を誓った文では有るが、その前後を読むと「代々天皇家に使える大伴家は、これからも御前に忠誠を誓い、仕えて行く事を誇りとしよう」と云った内容であるので、元々は大伴氏の私的な歌なので有る。 

この詞の内容が軍国主義的だとか、天皇崇拝だとか云う事は置いておいて、疑い無くこの詞は「君が代」(因みにこちらは、「古今和歌集」を典拠とする)にも通じる、日本語の本来の美しさを感じる事の出来る、代表的な詞で有ると思う。

そしてもう一曲はと何だったか云うと、それは何故か古賀政男作詞作曲の大名曲、「影を慕いて」で有った。

この名曲は、古賀政男に拠ってギター合奏曲として作られ昭和6年に発表、翌7年に藤山一郎のレコードでヒットとなった、「昭和歌謡」の代表選手である。筆者がこの曲を知ったのは子供の頃、能をやる父親が唯一「流行歌」を聴く機会で有った、毎年必ず年末にテレビで放映していた「思い出のメロディー」と云った様な番組でだったのだが、もう一つ重要な事は、筆者に取っての「影を慕いて」は藤山一郎の「それ」では無く、美空ひばりが歌う「それ」で有ると云う事なので有る。

美空ひばりと云う歌手は、本当ーに歌が上手くて、この不世出の歌姫が歌う「悲しい酒」(こちらも作曲は古賀政男)とこの「影を慕いて」は、幼心にも痛く沁み入り、中年と為った今と為ってはとても涙無くしては聴けない。ひばりちゃん(幾つだ、自分?:笑)の抑えた物憂げな調子と、余りにも切ない歌詞が相間見合って、恐るべき緊張感と寂寞感を醸し出すからである。

この古賀に拠る「影を慕いて」の歌詞は、「満州事変」や「5.15事件」の有った昭和初期の暗い世相を反映し、昭和3年には古賀本人もロマンティシズムの崩壊を経験、絶望の末自殺を図ったと云うが、自死を図った青根温泉から見た蔵王の夕焼けに、この詞を思い付いたと云う…「陰翳礼賛」的日本語の美しさが溢れる、中々素晴らしい歌詞だと思うが、如何だろうか。


まぼろし
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦れつつ 忍び泣く


わびしさよ
せめて痛みの なぐさめに
ギターを取りて 爪弾けば
どこまで時雨行く秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し


君故に
永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉の
儚き影よ 我が恋よ


美しい日本語に、何時も某かの「面影」が付き纏う気がするのは、一体何故なのだろう。
「日本の言の葉」は時を経て変化し続け、しかし未だその美しさを辛うじて保っている(と思う)…そして、この「美しき日本の言の葉」を滅ぼしてはいけない…我々も勿論努力をするが、「日本語」を生業とし、新しい「美しい日本語」を産み出す方々への、切なる願いである。