ニューヨークで想う、66年前の「Ground Zero」。

広島と長崎に原爆が落とされて、66年が経った。

東京生まれでニューヨークに長く住んでいると、夏の訪れを肌で感じたとしても、8月6日と9日に「黙祷」を忘れずに居る事は、恥ずかしながら中々難しい。

しかし今年は少し違って、それは勿論震災に因る原発と核の問題も有るのだが、それとは別に幾つかの理由が有る。その1つが、今我が庵「地獄宮殿」のダイニング・テーブルに飾られている、北出健次郎と云うアーティストに拠るセラミック作品、「Drops」だ。

この作品は、仲の良い現代美術家の友人に誕生日プレゼントとして貰った物なのだが、陶製の所謂「Salt & Pepper」容器としての機能を持つ、「Little Boy」と「Fatman」なので有る。ご存知だと思うが、この「Little Boy」と「Fatman」とは、それぞれ広島、長崎に落とされた原爆の「名前」で、その形状もその名の通り細身とぼってりした形で、色は純白…これが「Salt & Pepper」容器に為っている為(因みに、塩や胡椒の出る頭頂部の小さな穴は、各々「H」(広島)と「N」(長崎)に為っている)、日常使える物として例えば食卓や台所等に置く事に因って、日々「原爆」を考えさせられる、と云う所が非常に気に入った…素晴らしい作品で有る。

そしてこの作品と共に、今年もう1つ筆者に「66年目」を強く考えさせたのが、「ICP」(International Center of Photography)で今開催されている(〜8月28日)、「Hiroshima: Ground Zero 1945」と云う展覧会で有った。

1945年8月6日に広島に原爆投下をした後、アメリカ政府は原爆に因るその破壊的な被害状況を写した写真・情報をメディアで流す事を一切禁止し、トルーマン大統領は1150名に及ぶ軍人や写真家を含む民間人に対し、その破壊力を記録する為の調査測量を命令した。この展覧会は、700枚に及ぶそれらの写真の中から、破壊された建築物の写る写真を60枚選び、「Ground zero」と名付けられた「爆心地」からその建築物迄の距離と放射能の量を示す「地図」と、その被害状況を示す「破壊された建築写真」を展示する。

この展覧会では、当然アメリカの「感情」は何も表されて居らず、ただその「事実」を科学的に報告しているだけなのだが、近い将来米国議会承認に掛けられると云う、「マンハッタン計画関連施設を、国立歴史公園にする」と云うアメリカ議会の動きを知った上で観ると、非常に沈鬱な心境に為らざるを得ない。

この「国立公園」指定の対象地となっているのは、ルーズベルト政権下での核兵器開発研究と製造の中心地だった、ニュー・メキシコ州ロス・ラモス、「リトル・ボーイ」のウランを製造したテネシー州のオークリッジ、そして「ファットマン」のプルトニウムを製造したワシントン州ハンフォードの3ヶ所で、その設立理由はと云うと、「原爆開発は保存すべき国家財産」だと云う事らしいが、ニューヨーク・タイムズでも述べられた様に、アメリ反核団体の反対も有る様だが、日本からの強い反対を未だ聞いていないので、筆者は非常に危惧している所なので有る。

此処で云う筆者の「危惧」は、アメリカがこの施設を歴史公園にし「核兵器称賛」のメッカにしてしまうのでは無いか、と云う事も勿論有るが、しかし幾ら日本国や広島市が、また被爆者が訴えても、アメリカは作ると決めたら作るで有ろうし、内政干渉だと云われるかも知れない。

が、今筆者の云いたい「危惧」とは、66年間に及ぶ日本国の「核」に対する「見て見ぬ振り」体制と利権体質こそが、今回の恐るべき原発の事故を招いたと云う事実を、どのメディアも声高に伝えない所に有るのだ。

子供の頃から「非核三原則」を覚えさせられ、修学旅行で広島・長崎を訪れ「核」の恐ろしさを学んで来た筈の日本人が、これだけの原発事故が起きても、一体何故国全員が「反核」を叫ばないのだろうか…ロンドンの暴動は行き過ぎだが、怒る元気も根性も今の日本人には無いのだろうか。

グランド・ゼロ」と云う名称は、何も「9・11」に始まった事では無い…アメリカは丁度10年前の9月11日に、66年前自国が広島で起こした悲劇を、自国で観たに過ぎない。

そして今年筆者は、その旧敵国の「Ground zero」から、66年前の最初の「Ground zero」と「福島第一」に想いを馳せながら、黙祷を奉げる。