「異端者」達への献杯。

最近、悲しく残念な記事をネットの新聞で読んだ…それは、シンガーのジョー山中が肺癌で亡くなったと云う記事で有った。

今の若い人達は、ジョー山中と聞いてもピンと来ないだろうが、此方としては「フラワー・トラベリング・バンド」のヴォーカルとして、そして「人間の証明のテーマ」を大ヒットさせた歌手として、そのソウルフルな歌唱力が今でも記憶に強く焼きついている。

ジョーが黒人GIと日本人との混血で有る事は良く知られているが、彼の醸し出す独特な雰囲気は、例えばTVの「探偵物語」で、主人公の工藤(松田優作)に復讐をしようとする気の弱いチンピラ役や、上記映画「人間の証明」で冒頭に殺されるジョニー役等に生かされ、そのもの悲しさと憂いを秘めた外見が、彼の複雑な生涯と何時もダブって見えていた。

しかしジョーに関する、より強い個人的な思い出はもう1つ有って、それは1991年に3月に東京ドームで行なわれた「ドラゴン」藤波辰巳対「狂乱の貴公子」リック・フレアーの、NWA世界ヘビー級タイトルマッチ(プロレス)で試合前の国歌斉唱で彼が熱唱した「アメリカ国歌」である。

この日の事は、以前此処に記したので詳しく述べないが(拙ダイアリー:「『許せんインチキ』と、『許せるインチキ』」参照)、この時ジョーが唄った「アメリカ」国歌は、本当に心に染み入る物で、ジョーが辿って来た数奇な人生が濃縮された様な、父親の故国への想いと自らのアイデンティティの、云わば己の「人間の証明」を叫ぶ様な、正しく魂が溢れ出たパフォーマンスで思わず涙が出そうになった程だ…そして恐らく、「日本人」ジョー山中が公衆の面前で「アメリカ国歌」を唄ったのは、これが最初で最後ではなかったのだろうか…。

ジョーは映画「人間の証明」で、自分を捨てた母親を日本に探しに来て見つけ、会うのだがその母親に殺されてしまう役を演じ、その大ヒットした主題歌では「Mama, do you remember ?」と熱唱する…母親のみが、混血である彼を理解してくれた唯一の人間で有ったかの様に。

そしてジョーの事を考えていて思い出したのが、この間亡くなった元ヤンキースの伊良部投手の事である。

伊良部秀輝投手が、沖縄のアメリカ駐留兵と日本人の母との混血児で有った事をご存知の方はどれ位居るだろう。また、彼がメジャー・リーグに拘ったのも、物心付いた頃には離婚していていた父親を探す為だった、と云う事を知っている人は伊良部ファンを標榜するに相応しい。伊良部選手が大リーグを追われ、日本に戻って独立リーグに所属し、引退した後に再びアメリカに戻ったのは何故だろう…やはりアメリカを「故国」と思ったからでは無いのだろうか。

さて話は変るが、メトロポリタン美術館で開催されていた、ファッション・デザイナー、アレキサンダー・マックイーンのショウ「Savage Beauty」が日曜日に終了した。

このショウは何とも恐るべき人気で、METとしては異例中の異例で1週間の展覧会延長、そして最終週は木・金曜は夜9時迄、会期最後の2日間だった土日は、深夜0時迄の開館を実行し、一日2万人以上の来場者を迎えた。

その甲斐も有って、今迄記録だったを「ピカソ展」を抜き、どうやらメトロポリタン美術館史上、一展覧会としての最高動員記録を打ち立てたらしいのだが、筆者も妻と日曜の夜10時過ぎに「三度目の正直」を達成する為に、METに足を運んだのだった。

10時15分頃、METに着いて見ると意外と列は短く、思わず「ヨシッ!」とガッツポーズを取って並んだのだが、其処からが悪夢の始まり・・・短く見えた列は、あの広大なMET内部を蛇の様に蛇行しながら続き、並んでから1時間半経った時点ですら、我々は中二階の回廊を牛歩で進んでいたので有る…。

その時点で係員に「展示室迄、後どれ位掛かるか?」と尋ねると、その答えは何と「数時間」だと云う(6時間以上待った人も居たらしい)。問題は、深夜のMETは回廊のクーラーを切っていて暑く、その回廊にも2重3重にとぐろを巻いて並ぶ人達のせいで、空気が薄くなっていて何とも気分が悪かった事で、我々は本当ーに残念だったのだがその時点で展覧を諦め、回りの人々の「負け犬め!」的視線を浴びながら(笑)、退散したので有った。

と云う事で、この「Savage Beauty」展には「3度目の正直」も実現出来なかったので、購入した美しくも素晴らしい出来のカタログを仕方無く眺めたのだが、もう驚愕の一語である…何故なら其処に筆者が観た作品の数々は、ファッション音痴の筆者に取っては正直云って「ドレス」等と云う生易しい物では無く、まるで「美の鎧」で有ったからだ。

ムール貝や鴨の羽と云った、ヤン・ファーブル等の作品を髣髴とさせる素材の数々、豪華な刺繍やボンデージ風のテキスタイル、そして何よりも「ゴシック」感溢れる斬新なデザインと余りに美しいカット、英国人ならではの例えばタータン・チェックの文様等を巧みに生かし、しかし最も重要な点は、ドレスを「彫刻」としてマックイーンが制作している事で有る。

見方に拠ってはグロテスクで変態的ですら有る、このマックイーンの「ゴシック彫刻」は、恐らくは英国人で有る彼にしか出来ないのでは無いかと思う。それは伝統的王政や階級社会を未だ持ち、その裏に非常にグロテスクな物を持つ英国社会に於いて(今回の暴動を見るが良い!)精神的抑圧から逃れる為に、そしてゲイと云う性の「異端者」と云うレッテルと戦う為には、自分の持つ「グロテスクな欲望」を「美の鎧」として表現する事しか、その欲望を昇華させる事が出来なかったのでは無いだろうか。

また、この天才的「異端者」の展覧会が、その死後直ぐに「美術史の殿堂」であるMETで開催され、MET史上最大の観客動員数を達成した意義は大きい。この事実は、マックイーンの恐るべき作品に因って、優れたコンテンポラリー・ファッションが単なるファッションでは無くなり、アート−それは、ビザンチウムやエジプト美術、光琳ピカソと全く同じ意味での−と為るであろう事を予言しているからで有る。

最愛の母親の葬式の日の朝、英国的な、余りに英国的な「異端者」マックイーンは、自らの命を絶った。ジョー山中の歌声、伊良部秀輝のスピード・ボール、そしてマックイーンのドレス…その才能は常人の想像を遥かに超え、それは観る物・聴く者に取っては余りに凄すぎて、時に「痛い」程である。そして彼らの「才能」の原動力は、「異端者」として苦難の道を歩む上での拠り所、自分を「異端者」としてこの世に送り込んだ母や父を憎んでもそれ以上に愛してしまうと云う現実、そして混血だろうがゲイだろうが「人間」なのだと云う、「人間の証明」に他ならない。

最後に、カタログの最終頁に記されたマックイーンの言葉を記して、この世を去って行った天才「異端者」達への献杯としよう。


I found beauty in the grotesque, like most artists.
I have no force people to look at things.