ごきげんよう、「女の園」の同窓会。

「9・11」10周年の、厳戒態勢の中の下見会2日目は、ビッグ・クライアント達の来訪に因って始まった。

シカゴ美術館に自分の名の付いた「ウイング」を持つRや、アジア美術全般の「ピン」のみを買うB等が、お目当ての作品に眼を光らせる。そんな彼らのお相手をしながらも、筆者はと云うと「日本クラブ」主宰の「下見会ツアーレクチャー」を行なった。

今回のツアーは何故か人気が高く、人数が多くなり2回に分けての実施…日本美術に関心を持ってくれるのは本当に有り難い事で、受講生の方々も真剣且つ和気藹々とツアーを楽しんで居られた様子で、遣り甲斐が有りました。

そして夕方には、もう1つの短いレクチャーの予定が有ったのだが、それは「ごきげんよう」と挨拶する事で有名なお嬢様学校として知られる、「S百合学園」の同窓会ニューヨーク支部の為のレクチャーで有った。

このレクチャーは、同窓会の支部長(?)で、当人は「ワタシは『黒百合』出身だから!」と云われる、ギャラリー・オーナーのEさんのご依頼での物だったのだが、この「有名女学園同窓会行事」を筆者が引き受けたのにはもう1つ大きな理由が有って、それは筆者が同学園の同窓生だったからだ。

今迄隠して来たが、此処に告白しよう・・・「ワタシ」は実は女なの…「孫一」等と云う名を使って、いかにも奥さんが居る男の様に見せかけ、マッチョを気取って来たのよ。読者の皆様には、本当に申し訳無い事をしたわ・・・てな事が有る訳ないでは無いか!

筆者はただ、当時男子も入園出来ていたS百合学園幼稚園に1年ばかり通っていただけなのだが、しかし云って置かねば為らないのは、その年は「S百合学園」が男子を採った「最後の年」で、しかも筆者は「S百合学園」史上最後の、たった「2人の男」の内の1人だったのである。

今にして思えば、筆者の親が、息子が幼稚園に入る年(5歳児)だと云うのをすっかり忘れて居て、近所の人に「オタクのお子さんも幼稚園ねぇ・・・」と云われて始めて気付いたと云う体たらく。

「幼稚園は歩いて通う」がポリシーだった筆者の親は、急いで近所の有りとあらゆる幼稚園を探した結果、四谷に在るこれも当時は男子を入れていた女子高付属のFと、S百合のみが締め切って居なかったのだが、Fは何と問い合わせた日が締め切り日でギヴ・アップ、S百合だけが数日有った為S百合に入れたのだ、とは親の弁だ。

当然「ウーム、カトリックの女子高付属か・・・」と神道バリバリの親は考えただろう(と思いたい:笑)が、背に腹は変えられず入園したのは良いが、それから女の子達に散々苛められ、それが見事にトラウマと為って、今となっては「大の女好きの、大の女嫌い」に為ってしまったのである(笑)。

そして、散々な眼に会ったS百合幼稚園での1年後、近所のこれもカトリック系男子校のG学園に幼稚園が新設され、S百合の「マ・スール」(フランス語なので、「シスター」とは呼ばない)にも「男の子だからねぇ…」と云われ、転園を勧められたのであった。

そんな訳で筆者は「年長」に為る時にG幼稚園に移ったのだが、その時のもう一人の盟友男子I君は転園せず、もう1年今度は男子1人でS百合に残り「S百合学園史上最後の『男』」として、名門カトリック女子学園の歴史にその名を刻んだのである。

長くなったが、そのS百合学園の同窓会にレクチャーをした後は、アッパー・ウエストのフレンチ・ビストロで食事会。

女子だけ9人が取り囲むテーブルに、男子は筆者一人…フランス人ウエイターにも「羨ましい!」とニヤニヤされたりしたが、こちとら例の暗い過去を思い出し、当初何とも落ち着かなかったが、しかし今度は優しい女性同窓生のお陰で、楽しいひと時を過ごす事が出来、おまけにご馳走に迄為ってしまいました。

同窓生の皆様、本当にご馳走様でした。またお目にかかれる日迄、ごきげんよう