読書の秋の醍醐味。

それに付けても、最近イライラする事が耐えない…それは、現在「デモ村」と化している公園の、ニューヨーク市に拠る「清掃為のデモ隊撤去」問題。

あれだけ中東で「集会の自由」「言論の自由」を訴えて来たこの国が、「清掃」「この公園は個人所有」等と云う云い訳を付けて、デモ群集を排除しようとしているからなのだ(「何らかの理由」で延期になったらしいが:笑)。

そしてここ数日、デモ群集がアッパー・イースト・サイドの有名富豪達の超高級アパートメントの周りを取り囲んだりしている事を考えると、市当局が余り無理な「排除方法」を採ると、富豪宅周辺でも、建物を攻撃したり乱入したりと云った暴挙に出る位に、事態が悪化するのでは無いだろうか…アメリカのダブル・スタンダードには、「99%」の人々はもう飽き飽きしていて、その証拠には、ここ数週間に渡り、世界各国から「支援物資」がこの「デモ村」に続々と送られて来ている事からも、そして世界各国にこの動きが飛び火している事からも明白だろう。

さて本題…今日は久し振りに、最近読んだ中から数冊の興味深い本達を紹介したい。


・武内孝善/川辺秀美著「カラー版 空海密教美術」(洋泉社COLOR新書)
この著作は、高野山大学副学長等の拠る、東京国立博物館で開催された「空海密教美術展」の時期に合わせて出版された著作で、展覧会を観た者に取っては復習的に読めるし(拙ダイアリー:「幽霊と空海」参照)、密教思想の基本も学べるコンパクトでハンディな著作である。

当該展覧会に出品されていた作品の図版も多く、対談形式から入って、密教思想のオリエンテーションから徐々にその本質説明に進んでいく作りは、読者を飽きさせない。また本巻最後に「知っておきたい空海の名文とその背景」では、「性霊集」や「御請来目録」からの抜粋に「現代語訳」が付いていて、これも理解を助ける…手軽に読める密教密教美術入門としてお勧めしたい。


末木利文著「私の花伝書」(作品社)
読売演劇賞優秀演出家賞受賞の舞台演出家に拠る、近代演劇随想。著者は近代演劇史を交えながら、世阿弥の「風姿花伝」や「花鏡」を用いて舞台演出の極意や裏話を語るが、流石現場での経験を踏まえただけ有って、非常に興味深い。

筆者は杉村春子中村伸郎小池朝雄等の芝居を知っている最後の世代では無いかと思うが、日本近代演劇の現場に立ち会って来た著者の眼は鋭く暖かい。また「新劇」や「翻訳劇」に於ける小山内薫岸田國士等の「苦労」に見える、云ってしまえばそれまで「歌舞伎」と「能」しか無かった日本の舞台芸能に、「新たなる芸術」の産みの苦しみとその産み出す事の素晴らしさの両方を、この著作を通して垣間見る事が出来る…演劇音痴の筆者に取っては、非常に面白い内容であった。

因みにこれはどうでも良い話だが、筆者の父親は嘗て「民芸」に、ゲル妻は「文学座(研修生)」に在籍していた…実は「演技派」一家なのである(笑)。


岡本浩一著「茶道心講 茶道を深める」(淡交社
この本は裏千家ニューヨーク支部から頂戴した、裏千家で長く茶道を学んでいる社会心理学者の一冊。

原子力委員会専門委員」も努める著者の専門である「リスク心理学」がもっと文中でフィーチャーされているかと思いきや、読んでみるとそれ程でもなく、素直な「お稽古の大事さ」や「日常での心得」等が、著者の経験や心理学を基に語られる。

日々の、そして季節の道具等を中心に語られる「心得」は親しみやすく読み易いが、ここで語られる最も重要な事は、茶の湯と生きる「日常」である…茶の湯と深く関わって日常生活を過ごそうと思っている方には、良い指標となるのでは無いだろうか。


岡本敏子/川崎市岡本太郎美術館共編「対談集 岡本太郎発言!」(二玄社

岡本太郎と云う人は、何と魅力的な人なのだろう!

この対談集は、そんな感想を読者に「今更ながら」抱かせるに十分な、途轍も無くパワフルな書籍である。それはこの岡本太郎と云う人が、或る意味「対談」に物凄く不向きでありながら、その反面実は非常に向いている面も有り、それはその余りある個性や人柄、ぶった切りの性格では有るが、例えばウォーホルの様に人物像その物が「芸術的」である由縁であろう。

対談者はバラエティに富んだ「曲者」ばかりで、アーティストで云えば勅使河原蒼風棟方志功北大路魯山人池田満寿夫土門拳内田裕也、作家では瀬戸内寂聴寺山修司小松左京宇能鴻一郎、その他梅原猛亀井勝一郎小田実花田清輝等との、丁々発止の遣り取りが続く。

しかし、この人程パワフルで正直な人も今は居ないのでは無いか…岡本の芸術論は今でも賛否が有るだろうが、その作品に反映される彼の意思が決して他者に媚びる事無く、金にも踊らされない強固な物で有った事を考えると、その芸術に対する真摯な姿勢は見習いたいし、この示唆に富んだ「爆発対談」は刺激的でかなり勉強になった。


杉本博司著「空間感」(マガジンハウス)
今乗りに乗っている現代美術家杉本博司に拠る「スター建築家攻防記」。

ここ数年建築家としても活動を開始した著者は、自身の作品が展示される有名建築家に拠る美術館と、自身の作品との「戦い」に、その展覧会毎に挑んでいるのである。

美術館は「美術品を見せる為の『建築』である」と云う立場から、現代になって特に個性的な建築家に拠って、美術館その物が強い個性を発揮する一つの『アート的建築』に為った訳だが、例えば著者がリベスキンドの「垂直な壁も水平な天井も無い」ロイヤル・オンタリオ美術館では、「おもしれえ、やってやろうじゃねえか!」と叫び、筆者も敬愛する建築家ズントーのブレゲンツ美術館では「自然光」のみを、まるで旧友に会ったかの様に利用し「調和」する。

そして、その他外国人ではミース・ファン・デル・ローエ、ジャン・ヌーヴェル、ヘルツォーク&ド・ムーロン、レンゾ・ピアノ、また日本人では磯崎新谷口吉生安藤忠雄SANAA、延いては吉田五十八や小川治兵衛、西村伊作迄、その知的「戦い」はこの著作内で続いて行くのだ。

巻末には、著者自身が設計を手掛けたIZU PHOTO MUSEUMやロンドン・ギャラリーに就いて、また「春日神鹿」等の古美術に就いてのエッセーがおまけに付いているが、本書は最後の付録的「スターアーキテクト採点表」で終わる…因みに点数が良かったのは磯崎新やズントー、ピアノやバンシャフト等だが、逆にコールハースのリウム美術館は「世界一使い辛い美術館。嫌がらせとしか思えない」、ゲーリービルバオ・グッゲンハイムに就いては「建築を見に来る施設であって、アートを見に来る場ではない」、そしてペリに拠る「国立国際美術館」は「(建築家の責任よりも、国の設計施工管理体制に因る)言語道断の建築」との評。

今月末には、茶道武者小路千家家元後嗣の千宗屋氏が来紐育されて、杉本氏がチェルシーに造った茶室の「茶室披」が有るのだが、筆者もゲル妻と伺う事になっている…そう云った意味でも杉本氏の考える「美術品と建築」、「美術品と建築空間」の関係性や意味を、今一度考えさせられる著作であった。


秋の夜長に最適な、知的な本の数々…電子書籍では未だ味わえない醍醐味である。