「孫一、危機一髪」の巻。

最近ちょっと面白い、と云うか、複雑な感慨を持った記事を読んだ。

それは「行く年来る年」で毎年放映される、除夜の鐘で有名な福井県に在る曹洞宗大本山永平寺が、原発シンポジウムで「原発は仏教の教えに反する」との見解を示したと云う記事だ。

この記事に因ると、高速増殖炉もんじゅ」と転換炉「ふげん」の命名永平寺が関与したそうで、永平寺はこの命名に関与した事を後悔し「懺悔」する事に拠って、日常生活に於ける原発の存在を考え直そう、と云う宣言をしたとの事。

これを聞くと、地方自治体や国が仏教寺院にその「命名」を頼んだのだろうから、そもそも彼ら自身に「危険が有りません様に…」若しくは「無事で有ります様に…」との「危惧」が有ったのは?との疑念が浮かぶのも当然だろう…結局、原発を造る側も何処かで不安が有ったと云う訳だ。さも有らん、で有る。

さて、先日日活映画を一緒に観に行った友人のアーティストI氏から、お土産を頂いた。それは、巷では「コンビニ漫画」と呼ばれている数冊の漫画本で、例えば「ゴルゴ13」の3話を文庫本より少し大きいサイズの、紙質の余り良くない一冊に纏めて、コンビニの雑誌売り場の棚に並べて売られている「あれ」で有る。

そしてその頂戴した「コンビニ漫画」の内容はと云うと、これが何と「ヤクザ実録モノ」のシリーズで、ご存知山口組歴代組長の三代目と四代目、そして五代目に関する「実録劇画」なので有った。

僕は暴力団は苦手だし嫌いだが、「仁義なき戦い」や「ゴッド・ファーザー」等の「ヤクザ・マフィア映画」は元々大好きなので、これらの劇画も大変興味深く一気読みした訳だが、続けて読んで行く内に、この「業界」の方々に関する或る「思い出」が甦ったので、今日はその事を。

それは今から、もう8年近く前…僕が日本に出張中の事である。或る朝東京のオフィスに出ていると、一本の電話が掛かり、オフィスの女性が出て「孫一さん、東京都内のお客様が屏風をお持ちで、査定をして欲しいと仰ってるのですが、どうしましょう?」と聞くので、当然「勿論!明日、査定に行きます」と答え、女性は電話を掛けて来た顧客の住所・氏名等を聞き、筆者が明日査定に行く旨を告げ電話を切った。

そして早速翌日の午後、その住所で有る都内の有名繁華街某所に向かった訳だが、メモの訪ね先には「●●経済研究所」と有る…この辺の住所や訪ね先の「名称」で気付くべきだったのだが、時既に遅し…黒い遮光ガラスが全体を覆ったビルに入り、エレベーターに乗って「●●経済研究所」が有る最上階のボタンを押すと、大きな溜息を吐いた。

エレベーターを降り、「●●経済研究所」と書かれたドアの前に立つと、もう一度深呼吸をし、ベルを鳴らす。

奥から足音が聞こえ、ドアが半開きになると、強いパーマを掛けた若い男の眉の無い顔が覗き、「どちらさんで?」と筆者に尋ねた。「あの、クリスティーズの桂屋と云いますが…」と答えると、「お待ちしており『やした』」と云い、ドアを開けて筆者を招き入れた。

眉の無い若い男は、「会長、桂屋さんがいらっしゃいましたァ」と叫ぶと、奥から「お通ししろ!」とのドスの効いた声が掛かり、通された「会長室」は「此処は映画のセットか?」と訝しむ程、想像されるべき典型的な「あの方々」の室内装飾が施され、正面の大きな机の上の壁には「書」(「仁義」、いや「忠義」だったか?)が掛かり、その書の下の棚の刀掛には「大小(刀)」、部屋の隅には「鎧」が一領飾られ、床には「虎皮」の敷物が…。

ソファーに座り、暫く落ち着かずに待っていると、「会長」らしき、これも絵に描いた様なパンチ・パーマの50代後半と思われる男性が入って来た。墨書風の名刺を貰い挨拶を済ませると、会長は「『先生』、今日観て頂くのは屏風なんですが、早速観て貰えるかね?」と云うので「勿論です」と答えると、「オゥ、お前ら、用意しろ!」と若い衆に声を掛けた。

若い衆は、本間一双の屏風を会長室に運び込み、慎重に広げる…おぉ、「網干図」では無いか!17世紀初頭、狩野派の作と思われる、中々確りとした作品であった。

「先生、どんなもんでしょうねぇ?」

査定すべき作品を観て少し落ち着くと、「そうですねぇ、これは恐らく17世紀の狩野派の作で…」と云った瞬間、「会長」の大声が飛んだ。

「オゥ、お前ら、『先生』の仰る事をちゃんとメモっとくんだぞ!」…「ヘイ!」

ウーム…流石この「業界」、上下関係がハッキリしていて「礼儀」も正しく、大変気持ちが良い。最近の理屈ばかり捏ねる生意気な若僧等、この業界に放り込んで修行させるべきだ!…等と思いながら隣に立っていた若い衆の手元を見ると、鉛筆を舐め舐めしながら、メモ帳に確りと平仮名で「かのうは 17せいき」と書いて有った。

作品の説明を一通り終えると、「会長」は待ち兼ねた様に「して先生、お値段の方は?」と聞くので、「そうですねぇ…ざっと千万位でしょうか」と答えた途端、「会長」の顔色が変わったのを、筆者は見逃さなかった。

「そうですか…いえね、この屏風、わしら5千万の借金のカタに取って来たんですよ…何とか為りませんかねぇ?『先生』…」

孫一、人生最大の危機…一触即発状態である(笑)。此処で「何とも為らん」等と云ったら、明日の朝、晴海埠頭に浮かんでたりするのだろうか…。

「会長」の顔色を窺いながらも、腹を決めて「いや、5千万は有り得ませんね…会長、他にも担保を取るべきです」と、まるで会長の顧問弁護士か会計士の様な応答をすると、会長は「わかりやした、先生…実は他にも未だ有るんですが、見てやって頂けますかね?」と云う。

我々が居た会長室の奥にはもう1つ部屋が有り、会長は其処を指差した。むむむ…あの奥の部屋に入った途端にズブリと一突き、或いはビニール袋を頭からスッポリか?一瞬恐怖が過ぎったが、意外に腰の据わった筆者はズンズンと部屋に入ると、其処には棟方志功の版画や上村松園の軸物が並んでいた…。

次々に査定をし終えると、最初の眉の無い若い衆がお茶を運んできて、「会長」と「業界」の景気話等を歓談。「無事」部屋を出て挨拶をし、辞去しようとすると、「オイッ!」と会長の一声…ビクッとして立ち止まったが、その「オイッ!」は筆者に向けられた物では無かった。

「オイ、お前ら、『先生』をお見送りしろ!」…「ヘイ、わかりやした!」

結局筆者は、3人の若い衆に囲まれてエレベーターに乗り、若い衆の一人がビルの前でタクシーを止めると、ドアを押さえてくれた。タクシーに乗り込み、ホッと一息吐いて窓の外を眺めると、3人は此方に向かって深々とお辞儀をしていた。

「先生」と呼ばれたのも、あんなに深々とお辞儀をされたのも生まれて初めてだったので、或る種深い感動を覚えていたのだが、バック・ミラーで恐る恐る筆者の顔を見ていたタクシーの運転手の一言で、その感動は吹っ飛んで行った…。

「あの、お客さん…お客さんは、どちらの組の方で?」

だから「人は見掛けに因らない」と、何時も云っているのだ(涙)。