「雪の日に、茶事をせぬは…」:茶室披き@「今冥途」。

昨日の午前中は、来月末に開催される国際浮世絵学会で、自身の600点に及ぶ川瀬巴水のコレクションに就いて発表を行う友人のR宅へ赴き、その発表と筆者がする通訳の打ち合わせ。

Rの講演は「Hasui, Snow and Me」(「巴水、雪と私」)と題され、彼の巴水への思いが溢れた物に為るのだが、そんな「雪景」で有名な巴水作品のイメージをラップトップで観ながら打ち合わせをしていると、Rがいきなり「Mago, look at the window!」と叫んだ。

振り返って見ると、窓の外は何と「雪嵐」!確かに前日から雪の予報は出ていたが、夜になってからだと思っていたのに…。奇しくもこんなタイトルの付いた講演の打ち合わせ中だったので、これでは「『Hasui, Snow and Us』だな」と2人で大笑いをした。

しかしこれは少々困った事に為った…何故なら午後から、現代美術家杉本博司氏がチェルシーのステュディオに完成した、茶室「今冥途」(いまめいど)の茶室披きの茶事に、着物姿のゲルゲル妻と伺う事に為っていたからだ。

この10月29日と云う日に雪が降るのは、何と1952年以来と云うスノー・ストームの中、何とかタクシーを拾いチェルシーの元印刷工場だったビルの11Fに在る杉本氏のステュディオに着く。荷物を預けて隣のステュディオに入ると、茶室「今冥途」に昇るべき階段の下では、何と紋付姿の杉本氏自らがゲスト達を記念撮影して居た。

ポートレイトを撮られたゲストの内、或る者は近々行われるで有ろう自分の葬式の「遺影」に使うと笑い、或る者は未だ予定の無い2回目の結婚の為の「見合い写真」に使うと云う…流石、恐ろしく「洒落」の効いた茶室名の「披き」に呼ばれたゲスト達である(笑)。

こうしてゲルゲル妻と筆者も、仲良く2人一緒の写真を杉本氏に撮って頂き、「今冥途」と掘られた石碑(まるで「冥途の一里塚」だ!)を横目に階段を上り、いざ「今冥途」へ。

階段を上り切ると、大時計と天井の「化石」が客を迎える。「露地」は石畳、その脇にはロフトの中だと云うのに苔生した小庭園が露地に沿って在り、突き当たりには新作「硝子五輪搭」が飾られ、脇を見ると、恐らくは嘗て「礎石」だったのではと思われる「蹲」も有る。

昨日の茶室披き初日の茶事は、点心、濃茶、中立、薄茶と為っていて、亭主を武者小路千家家元後嗣の千宗屋若宗匠が務めたのだが、現在その若宗匠をテレビ番組が追っていて、そのクルーらしき人達の姿も見えた。

そしてこの日の大事な相客はと云うと、米国茶人D氏夫妻を始め、カナダからのコレクター・カップルや現代美術家森万里子さんと娘さんのまなちゃん、日本からの茶人A氏やロンドン・ギャラリーの田島充氏、小田原文化財団理事長の小柳敦子氏や瀬津雅陶堂主人の瀬津勲氏等、日本人と外国人、また茶の湯の知識の浅深も含めて、非常に上手くミックスされた人選で有った。

この「今冥途」と云う茶室は、ステップを上がった四畳半の畳間と10人程が座れる立礼席とで構成され、今回の御点前は4人の客が座った畳間で行われ、立礼席には11名と云う構成での茶事と相成った。余談だが、茶事には出席をされなかったが、著名ダンス・コレオグラファーのウイリアムフォーサイスがこの茶室の見学に来ていて、生フォーサイスを見た我々(特にゲルゲル妻)は、大感激でした。

さて「濃茶席」で有る。

先ず寄付には、「杉本好」の屏風裏銀地を用い、ミニマルな表装が施された「火」に纏わる某「お経」。本席に眼を遣ると、床には軽やかだが得も云われぬ風格の、鎌倉時代の某禅僧に拠る「墨蹟」大名品、下に置かれた室町期の古銅花入には、「雪の日には花を生けず」と云う利休の教えに倣い、唯口辺迄水を張る。古芦屋の釜からは松風が聞こえ、このフロアの壁一面の窓から見えるニューヨークの街に降り頻る雪と共に、客は自分達がさも「俗界と冥界の間(あわい)」に居る様な思いを強くする。

客達が席に着くと杉本氏と若宗匠が登場し、今回の茶事の趣旨と「今冥途」建立の理由、そして「『利休』と『デュシャン』への思い語られる。「レディ・メイド」の物を「アート」に迄昇華させた、「新たなる創意」の権化で有るこの400年の時を隔てる2人のアーティストへのオマージュ(洒落をも含んだ)としての「今冥途」…そしてそれは、21世紀を生きる現代美術家杉本博司の「Objective」でも有るのだ。

お話が終わると、先ずは点心。如何にも杉本好のデザインの美しくミニマルな、細部まで非常に拘った、喩えて云うならば神道の「三方」を思わせる檜の膳が運ばれ、一献頂き、季節のお弁当と明治期らしい椀でお吸い物を頂く。外国人達とお茶や室礼、道具の説明や、本作品の話等をしながらの点心は、日本での茶会とは異なった面白さが有る。和気藹々と点心が済むと蕨餅を頂き、若宗匠が再び登場…そろそろとお茶が始まった。

この日の主茶碗は、高台が梅花形で面白い三井家伝来の朝鮮物の、「船」に纏わる「白」茶碗で、替は黒楽…考えるとこの「モノクローム」の2碗は、杉本作品へのオマージュでは無いか!茶入は古薩摩、茶杓は筆者見覚えの有る、若宗匠のご先祖の共筒に同じくご先祖様五代文叔に拠る書付の有る、「捻くれた」(とは、杉本氏談)作。

何時も思うのだが、若宗匠の点前は遅過ぎず、かと云って早過ぎず、観ていても決して飽きる事が無い。またこの「今冥途」の素晴らしい点の一つは、4畳半の高さと立礼席の高さが絶妙な所で、立礼席に座っても精神的にも感覚的にも全く畳間との距離を感じない所で、この千氏の濃茶点前の間、15人は信じられない位に陶然とした一体感に包まれたので有った。

そして濃茶が終わって中立で階下へ降り、合図で再び上に上がると、其処は別世界になっていた!

「今冥途」内の灯は落とされ、とっぷりと暮れ、未だしんしんと降る雪を窓外に見る茶室には、燭台に燈された蝋燭の仄かな灯のみ…まるで「夜咄」の様である。寄付きにはボストン19世紀の画家、アレンの「鬼蓮図」対幅が掛かり、その下には余りに「味」の良い、金銅佛ならぬ13世紀ヨーロッパの「金銅キリスト磔刑像」が杉本氏自作の白木の十字架に掛けられ、「IHS」と書かれた根来箱(元は「聖書箱」だろうか?)にインストールされている…驚くべき作品である!

本席の床には、軸装されたオールドマスターきっての大家に拠るエッチングの「天使来迎図」、そしてこれも非常に珍しい織部燭台やフランスの「クリスチャン」系作品達…そう、この薄茶席のテーマは「●●●」なので有った(さあ、何でしょう?)!茶碗は「十字」の付いた絵粉引「銘 えこひいき」(笑)と16世紀の朝鮮物だったが、驚いたのは出て来た干菓子で、何と「五輪搭」の形状をしていた…因みに筆者は、杉本氏に「世の中森羅万象、全部食ってしまえ」と云われたが、遠慮して「地」と「火」だけを頂いた(笑)。

3時間以上に渡った「今冥途」の茶室披きは、こうして無事終了…終わってみると客全員が、如何にこの日の驚くべき茶事が、伝統と現代の「新たなる創意」に溢れていたかを語り、大満足で「冥途」を後にし、「俗界」へと三々五々帰って行った。

濃茶席に掛かった軸に有った「諸悪莫作 衆善奉行」と云う言葉…どんな「冥途」が我々を待っているか判らないが、1つだけ云える事は、それは我々の「今」に掛かっている、と云う事だけで有る。

この素晴らしい茶事に呼んで頂いた事への感謝の気持ちと共にそんな事を考えた、素晴らしくも創意に溢れた一夜で有った。