アダムとイヴ。

寒さが厳しくなり、今日などは3度迄気温が下がるとの事。

ニューヨーク冬の風物詩「マンホールから夜の闇に立ち上る白煙」が、走って来るタクシーに因って掻き消されるのが目立つ様に為り、気が付けば11月…今週末で滔々「夏時間」が終わり、そしてあっと云う間にニューヨークも冬を迎え、余りに多くの事が起きた「2011年」も終わってしまう。

そんな中、或る意味今年の注目企業No.1とも云える「東電」と云う会社には、本当に開いた口が塞がらない。

被災者の為の賠償金の支払いを可能にする為に、国が公的資金、つまり我々の血税を1兆円も東電に「お貸し」するのに、この企業は「ボーナス」なる物を社員に支給するらしい(間違っていたら、ご教授下さい)…こう聞くと「責任」と云う言葉は、東電の辞書には無いとしか思えないが、これは余りに酷い話では無いか。

こう云った日本企業の「甘さ」にはハッキリ云って吐き気すら覚えるが、日本企業や国は「TPP」がどうたらこうたら、競争力がどうたらこうたら云う前に、自分を「世界」と云う鏡に映して見てから発言べきだろう…本当にふざけた輩だ。

しかしこう為ってくると、筆者が子供の頃から、尊敬して止まない政治思想家Y先生から事有る毎に云って聞かせられた、Y先生の血縁でも有った西郷南州(隆盛)の「南州遺訓」を思い出さざるを得ない。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の始抹に困る人ならでは、艱難を共にし国家の大業は為し得られぬなり。」

こんな気概の人は、今の日本に居ないのだろうか。金の亡者だったり、有名に為りたがったり、地位に固執したりする者ばかり…淋しい限りである。が、最近我が日本・韓国美術部門には、そんな気概が有るで有ろう(と思いたい…切に:笑)新スタッフが入った。

独身でイケメン、何処と無く憎めない彼の名はM君。東京支社で8年程働いた後、本人の強い希望に拠って筆者の元にトランスファーされて来た青年である。

M君はこれから、日本美術担当のオークション・ハウス・スペシャリストとして筆者にシゴきにシゴかれる訳だが、本人が望んで来たのだから、S気の有る筆者としてはもうニンマリ…シゴき甲斐も有ろう物である(勿論、冗談です…だと思う:笑)。皆さん、これからM君を一人前のスペシャリストに鍛えて行きますので、どうぞ暖かく見守って下さい!

さて気を取り直して、本題。2日の夜は、招待を頂いた「パーク・アヴェニュー・アーモリー」での「Print Fair」のオープニング・パーティーに、ゲルゲル妻と出席。

世界各国の一流版画ディーラーが集まるこのフェアには、浮世絵をも含めたオールド・マスターや近現代の版画が所狭しと飾られ、バイヤーを待ち受けると云う大イヴェントである。

数多くの知人達と話しながら会場をぐるぐる廻っていると、今年のマーケット・トレンドの様な物も感じられ、それは例えばダミアン・ハーストのエディションがたった2枚の新作「Golden scull」だったり、ピカソやウォーホルの有名作品だったりするのだが、しかし我ら地獄夫婦の眼を掴んで離さなかった作品は、それらのコンテンポラリー作品では無く、何とオールドマスターの巨匠「デューラー」のエングレーヴィングで有ったのだ!

今を遡る事19年、筆者はクリスティーズ・ロンドンに「グラジュエイト・トレイニー」として入り、その最初の3ヶ月間配属と為ったのが「版画」部門で有った。

ロンドンの版画部門は、土地柄も有り、レンブラントデューラー等の「オールドマスター版画」を非常に多く扱っていたので、筆者もそれ迄日本では殆ど眼にする事の無かったそれらの作品を、星の数程見、触り、検分した物である。

なので、勿論専門家とは行かないが、「オールドマスター版画」にはそれなりの知識も有るつもりの筆者だが、この日プリント・フェアで見たアルブレヒト・デューラーのエングレーヴィング、「アダムとイヴ」には本当に腰を抜かした!

この1504年作の「アダムとイヴ」は、デューラーが画家バルバリから学んだと云われる遠近法や解剖学、人体均衡論と、作家独自の人体研究の成果を惜しみなく発揮し、「ビュラン」を使用して精密且つ質感に溢れた作品に仕上げた、溜息が出る程に美しい「大名作」である。

イヴを見つめるアダムに対し、イヴは右手に「禁断の果実」を持ち、蛇がそれを食べる様にそそのかす所だけを一心不乱に見つめ、アダムの方は見もしない。そして「誘惑への恍惚」に満ち溢れる彼女は、もう1つの「果実」を左手に隠し持つ。

アレゴリーに満ち満ちた画題だが、しかし或る意味この構図は「21世紀の男女」に置き換えても、何ら可笑しいところは無く、却って女性の持つ根本的な「魔性」を再確認させてくれる。デューラーの描くその心理的描写は勿論大変素晴らしい物なのだが、筆者が観た今回の「アダムとイヴ」の凄さは実はそれだけでは無く、その驚くべき「状態」に有ったのだ!

しかし、何とクリスプで立体感の有る「摺り」なので有ろう!こんなに素晴らしい状態の「アダムとイヴ」は嘗て観た事が無い…もう降参、凄すぎる。

ゲルゲル妻と作品から眼が離せなくなり、暫し呆然としたが気を取り直し、「俺達はこう云う作品が欲しいのだ!」と合意する。そしてその結果、妻が「幾ら位かなぁ?」と云うので、「そりゃ、ウン十万ドルはするだろう!」と答えたのだが、ヤル気が無さそうにボンヤリとしていた店の女の子に、勇気を奮って値段を聞いて見る事にした。

そしてその子から帰ってきた答えは…「50万ドル」!

そりゃ、そうだろう…。この「アダムとイヴ」は、世界一のインプレッションと云っても過言では無い「状態」なのだ!…その位するに決まっている。

頭を下げ、深い溜息を吐き、そのディーラーのブースを後にした「『地獄の台所』の『アダムとイヴ』」(笑)は、もう1点このフェアの中で気に入った、此方は無理をすれば何とか手が出る価格の某現代アーティストの作品と云う「禁断の果実」に向かって、そろりそろりと歩いて行ったので有った。

誘惑には、決して負けてはならない(笑)。