「カツラン」の観た「カテラン」:Maurizio Cattelan's "All"@Guggenheim.

「ニューヨーク・シティ・マラソン」の有った昨日の日曜は、昼過ぎ迄家でのんびりし、街中の交通が正常化した頃を見計らって、グッゲンハイム美術館へマウリシオ・カテランの展覧会「All」を観に。

さて、この11月4日に開幕したばかりのこの展覧会は、此方の美術業界では既に結構な話題になっていて、そしてそれは賛否両論とも毀誉褒貶とも呼べる物で有ったのだが、グッゲンハイムに一歩足を踏み入れた途端、その理由が一瞬にして判った。

それは何故なら、この展覧会の展示作品110点「全て」が、吹き抜けの天井から「吊るされていた」からだ!

しかし或る意味、これ程「グッゲンハイム」と云う美術館を上手く使った展示も、嘗て無かったのでは無かろうか?

最上階(6F)から螺旋スロープを降りながら、「高さ」を変えて吊るされた作品群を観る事を強いるこの展示は、勿論近くに寄って観る事は不可能、そして筆者の様な高所恐怖症の観覧者に取っては、近寄る事すら怖ろしくも有ったが、例えば「オペラグラス」や双眼鏡を持って行けば、そんな問題も解決されるで有ろう。

序に、スロープを徐々に降りる事に因って、同じ作品を色々な角度から観る事が出来るし、カテラン独特の「諧謔味」と、その作品同士の、云ってみれば「まとめて、ポン!」的な(どんなだ?:笑)「3D展示」が十二分に楽しめると云う利点も有る。

この展覧会は所謂「回顧展」なので、出展作は有名な作品ばかり。昨日此処で少し述べたカテランの出世作、「隕石がローマ法王に当たり、法王が倒れている」と云うインスタレーション「La Nona Ora, 1999」や、KKKクー・クラックス・クラン)風に白覆面をした巨象「Not Afraid of Love, 2000」、作家本人が床の穴から顔を覗かせている「Untitled, 2001」、去年ニュー・ミュージアムの展覧会で観て感動した(拙ダイアリー:「アートに於ける『人体』の可能性 I :『SKIN FRUIT』@NEW MUSEUM」参照)、「All, 2007」と「Now, 2004」(JFK)等、全く飽きる事が無い。

しかし今から思うと、昔クリスティーズの現代美術セールの下見会で「La Nona Ora」(2001年5月:88万6000ドルで売却)や、「Not Afraid of Love」(2004年11月:275万1500ドルで売却)を観た時の衝撃は凄まじかった!そして、この作家が此処までメジャーに為った事に少しも驚きを感じない事が、驚きと云えば驚きなのである(笑)。

本年取って51歳のカテランは、この展覧会を以って「引退」すると云う…しかし、嘗て此方で「カテランに会いに行って、インタビューをする」事を目的としたアート・テレビ番組を観た事が有ったのだが、その番組中でもカテランは、インタビューどころか結局一度も姿を現さなかった事を考えると、人を食った所の有るこのアーティストならば、例えば「変名」を使って制作を続けると云った「トリック」を使ったりするのでは?と思ったりもする…考え過ぎだろうか(笑)。

観覧中、スロープの途中で友人のA姫とP王子に偶然バッタリ会ったのも嬉しい驚きだったが、何れにしても、「肉体」と「宗教」に異常な執着を見せる作家への「驚き」と「興味」は尽きない。

本日のダイアリーは桂屋孫一、A.K.A.「マルオシリ・カツラン」がお届け致しました(筆者の事を知っている人には判る:笑)。