嵐の中で「縁」を思う。

日本に来てから、寒暖の差と時差ボケで、体調がパッとしない。

が、そんなモヤモヤを吹き飛ばす様な出来事が有った。

その「モヤモヤを吹き飛ばす様な出来事」とは、少し前に「夢」に関して此処に記した事にも関わっている(拙ダイアリー:「OMEN:前兆」参照)。

こうなると、あの夢は当に「正夢」だったかと思う程、ここ数年探し続けていた或る重要な美術品を、一昨日全くの「偶然」で「発見」したのだが、この「発見」顛末を記すのは、またの機会にしよう(知りたいでしょ?…でも、教えてあげない!:笑)。

さて筆者は、道や店等で本当に良く友人知人に、偶然出会す。そして、そのあらゆる意味に於いての「タイミングの良さ」と「引きの強さ」(例えば大雨の金曜夜6時、絶対的に空車の居ないロックフェラー・センター前でも、「必ず」5分と待たずに空車が目の前に止まったりする)に何時も驚くのだが、これも全て「ご縁」と神仏に感謝しているのだ。

そんな「偶然力」の強いワタクシだが、木曜日、神保町で版画商に会った後、プラプラ歩いて某美術書専門店に入り、出ようとすると、見覚えの有る黒縁眼鏡の男性が入って来るでは無いか。

その男性は、筆者が連載しているK談社の雑誌の編集担当者A氏…つい先日次号の分を校了したばかりだったので、余りの偶然にビックリ。当然A氏もビックリしていたが、お互い忘年会の約束をして、この日は別れた。

そして「偶然」は未だ続き、今度は金曜日の朝イチ、出光美術館で開催中の「長谷川等伯狩野派」展を観に行った時の事。

等伯と永徳の「ライヴァル」関係と、その作品にスポットを当てたこの展覧会の最後の展示室で「柳橋図屏風」を観ていたら、背後から「桂屋さん!」と声が掛かった。

振り向くと、其処には今週末に行こうかと思っていた、今素晴らしい展覧会「神仏います近江」を開催しているM美術館の学芸員、O氏が立っているでは無いか!
「桂屋さん、日本にいらっしゃってたのですか?」…「Oさん、いや今週末、伺おうかと思っていたんですよ!」と、お互いビックリ。

そしてこの数時間後に、上に述べた「偶然の発見」が有った訳で、こうなると「偶然」とは須らく「必然」、人もモノも「ご縁」に「随う」が肝要、願えば通ず、なので有る。

そして昨日の土曜日は、朝から台風並みの雨の中、「随縁斎」若宗匠のお誘いで、護国寺にて開かれた「音羽茶会」へ。

猛吹雪だった杉本博司氏の茶室披き以来、どうも筆者のお茶と天候の神の仲が、お悪い様で有る(笑)。

アーティストのミヤケマイさんと、これまたK談社のTさんと待ち合わせて、いざ出陣…先ずは若宗匠が濃茶席を持つ、「不昧軒」へ。
若にご挨拶した後は、御道具拝見。寄付に掛かる軽やかな字の懐紙は、珍しい酒井抱一作、季節感タップリの「閑庭落葉」。床に眼を移すと、復厳克己墨跡に首の長い素晴らしい発色の砧の花入。

この「よなが」と銘された個性の強い花入には、花を活けるのが至難の業だと思うが、其処は流石、寒菊が立花風に活けられ、美しく仕上げられていた。が、個人的には床脇の鎌倉金剛五鈷杵と、極めて味の良い根来手力盆にも、眼を奪われた事を記して置こう。

釜は利休所持の天明丸、炉縁は金閣古材、水指は信楽鬼桶、茶碗はと云うとガチムチ且つトロッとした、二重高台の志野の亀甲文と文叔手捏の赤、宗旦茶杓等で有ったが、驚いたのは実は「建水」で、何とも良い味の南蛮砂張…水屋でお茶を頂いた時の、茶箱用の薩摩茶碗と共に、何とも「タマラン」モノで有った。

不昧軒を後にすると、雨の中薄茶席の「楓の間」へ…行くすがら、ロンドン・ギャラリーの田島さんとバッタリ会い、その後ご一緒する事に。

水屋で席主の櫻井氏を初め、碧雲会の皆さんや雅陶堂主人瀬津氏にご挨拶後、お道具拝見。

秋月の白衣観音像と黄瀬戸香炉に迎えられ、席に入ると、床には直斎の一行書と瀬戸縄耳花入、可愛い織部の木菟香合。特に眼を惹いたのは、替茶器の八橋手の黄瀬戸(元は向付か、ぐい呑か)と、何とも懐かしい感の有る斗々屋茶碗「松岡」、そして非常に珍しい益田家旧蔵の根来蓮弁盆…櫻井氏の個性が良く出た、素晴らしい道具組だったと思う。

『青草か(「か」は「穴かんむり」に「果」)』の美味しい点心を頂くと、池内さんが席を持つ宗澄庵へ…此方の水屋では若宗匠もジョインし、皆で歓談。

床に掛かる、まるで「カネゴン」の様にバックリと口を開けた宗旦の花入と花、そして何とも可愛い九谷の香合が、誠に粋で素晴らしかった。

茶会の最後には、美味しい蜜豆を頂いて、マイさん達と別れ、護国寺を後にする。

その後フラリと寄った骨董屋では、見せられた神道彫刻に固唾を呑み(「ご縁」が有るやも知れん:笑)、夜は夜で全生庵の平井和尚と食事、帰宅直前には思わず立ち寄った「B」で建築家O兄弟達と久し振りに話し込んで、結局家に辿り着いたのは0時前…。

嵐の中、朝から晩迄、人とモノとの「縁」に溢れた1日…「ご縁」の有り難さを肌で感じた1日で有りました。