女の面々。

日本帰国後初日の昨日は、先ずは、久々に実家に帰った。

筆者の実家は、武蔵野の面影の残る、木々に未だ囲まれるK市に在り、云ってしまえば「別荘要らず」の場所なのだが、K駅のホームに降り立ったら、雲一つ無い青空に真っ白く冠雪した、雄大な富士山が見え、実家のダイニングでは、窓越しの庭の紅葉した木々を飛び渡る長鳥等が囀ずりが聞こえ、何とも心が和んだ…「ビバ・ジャパン」、いや「ビバ・ジッカ!」で有る(笑)。

お昼のうどんを食べ、親のお髭の塵を払い、逆に土産を貰って都心に戻ると、今度は日本橋三井記念美術館で開催中の、「能面と能装束―神と幽玄のかたち」展を観に。

この展覧会は、館所蔵、金剛流宗家旧蔵の能面54面全てが展示され、その室町から江戸期に掛けての、バラエティーに富んだ質の高い能面を一度に観る事が出来る。

さてその展示だが、第一室は「翁面」から始まり、「鬼神面」を経て「男面」へと続く。

この中では、伝日光作の「白式尉(翁)」、「肉付き面」の伝承を持つ両眼の位置の異なる「不動」、そして伝千種作の「怪士(あやかし)」が素晴らしい。が、その中では何と云っても「怪士」の写実性が卓越して居り、それこそまるで肉面の如き、何とも恐ろしい面で有った。

次の部屋は、お待ち兼ねの「女面」…ハッキリ云って、このコレクションは「女面」のクオリティが、何よりも素晴らしいからだ。

そしてその質の高い「女の面々」の中でも、白眉と云えば誰が何と云っても、伝龍右衛門の「小面(花の小面)」と、伝孫次郎作「孫次郎(オモカゲ)」の2面で有ろう。

「花の小面」は秀吉が手にした三面の小面「雪・月・花」の内の「花」と伝承され、かなり修理が施されて居るとは云え、その恐るべき妖艶さは健在で、長く眺めていると、その危険極まりない微笑の中に引き込まれそうに為る程の、妖しい性的魅力に溢れて居る。

しかしそれにも況して、個人的には「オモカゲ」の方に、筆者は得も云われぬ魅力を感じるので有る。

世に星の数程存在する「女面」の中でも、最高傑作の呼び声高いこの面は、孫次郎が亡くなった妻の面影を写したモノと云われているが、その優しくも寂しく、そして儚い「オモカゲ」の魅力は、その顔のパーツ・パーツの不思議な「アシンメトリーさ」に有ると思う。

良く観ると、右目よりもほんの少し上に位置する左目、僅かに上がる右の唇と口元…孫次郎の妻のリアルな「面影」が、当にこの面に写し出されている訳だが、孫次郎の妻とは、何と優しく男を包み込む顔の女性だったのだろう…!

「花の小面」と「オモカゲ」。この2面を観るだけでも、この展覧会に行く価値は充分に有る…「慈愛」と「魔性」の女の面々を、是非とも一見して頂きたい。
さて、妖しくも恐ろしい「女の面々」を堪能した後のディナーは、打って変わって「男の面々」(笑)で。
20年以上通っている、麻布の美味しい「蔘鶏湯」の店「G」に集まったのは、極く最近父親と為った作家のH氏と、クラシック・ギタリストのM君、そして筆者の3人。

当然話題は、作家で有るH氏が娘さんに付けるべき「文学的な名前」に集中したが、昨日の時点では、漱石では無いが「名前はまだ無い(決まっていない)」そうで有る(笑)。

その後も豆腐サラダやチヂミ、蔘鶏湯と〆の石焼ビビンバ迄を食べながら、「名は人を表す」話から政治経済やアート迄、時には熱く、時にはメッタ斬りの3時間半。

が、とどの詰まりは「女性」の持つ色々な「面」の話に行き着き、「サクッと…」等と云って居た割りには、店員に「そろそろ閉店です…」と追い出され、皆でタクシーに乗り込んで迄、その話題を語り続けたのだった。

最後迄、「女の面々」に拘泥し捲った1日でした(笑)。