1200年振りの「大将軍」との再会。

一昨日、関西に来た。

VIPとのランチを青山で終え、2人の後輩を従えて新幹線に飛び乗り、先ず向かったのは…大阪。某倉庫に赴き、屏風や軸物を拝見したが、残念ながら高価な作品は無くガックリ。

夜は、今大阪に赴任している、小学1年生から41年間に及ぶ友人である親友Nと久々に会い、寒鰤や河豚等を食べ旧交を暖めたが、食後、顧客と食事をしていた後輩達に呼び出されると、その後は深夜1時半迄、何とも云えぬ「ジ・オオサカ」な夜を過ごした(笑)。
翌日朝、東京の某有名画廊社長とホテルのエレベーターで乗り合わせたが、もう10年以上お会いして居ない為、向こうは此方に全く気付かず…此方も何故か、顔を伏せ気味にしていたのが可笑しかったが、しかしこの仕事では、「面」が割れていない事が、思わぬ事態を呼ぶ事も多い。

或る時、某ホテルのロビーで、人に会う迄の時間を潰す為に1人でお茶を飲んでいたら、後ろの2人組が何やら美術品の話をしている。

耳をダンボにして聞いていると、彼らの会話の中に、何と筆者の名前が突然出て来た…思わず振り向きそうに為ったが、其処は我慢し話の行方を窺う事に。

話を聴いていると、彼らはどうも「初出し屋(うぶだしや)」(田舎の金持ちそうな家を訪ね、蔵などを観て、美術品をまとめて買う業者の事)らしく、何処ぞの蔵から出して来た作品を或る業者に委託しており、筆者がその作品を業者の店で査定する事になっていると云う(笑)。

彼らのその後の会話の中で、「その人、外国のオークション会社云うとるけど、眼ぇ利くんやろなぁ?」等と耳にした時には、「おどりゃ、誰の事云うとんねん!」と、「武装神像」並みの憤怒の形相で振り向いてやろうかとも思ったが、その作品とやらを観た時に眼が利かなかったら…と思い、オトナな筆者は思い止まった(笑)。

余談だが、後に「その作品」と思われるモノを確かに拝見したのだが、眼が利かなかったのは、その初出し屋さんの方だった事を、筆者の名誉の為に記して置きたい(笑)。

さて大阪では、その後3人の顧客を訪ね、武具甲冑、明治・大正期の工芸や軸物等を観、夕方からは京都へ侵攻。

京都での初日は2人の顧客に会い、素晴らしい絵画を拝見…出品されると良いのだが。夜は長いお付き合いの顧客夫妻と、最近ミシュランで星を取ったと云う祇園裏の「M」で、大変美味しいディナーを頂いた。

そして今朝は、仕事前に済ませるべき個人的な大事な用が有った。それは常々行きたかったが今迄果たせ無かった、「大将軍八神社」に行く事で有る。

この「大将軍八神社」は、北野天満宮のはす向かい、知る人ぞ知る高津古文化会館の裏手に在る、桓武天皇の勅願に拠り平安遷都の行われた794年に勧請された、歴史由緒有る神社なのだ。

「大将軍」と聞くと、如何にも「戦の神様」の様に思えるが、実は元来中国の陰陽道道教信仰の「方位を司る星神」で、この神の方位を犯すと厳しいお咎めを受けると、古来非常に恐れられて来た神で有る。

そしてこの「大将軍八神社」には、80体にも及ぶ武装神像とも呼ばれる「大将軍神像」群が、「立体星曼荼羅」として安置されて居るのだ!

拝観の予約をした朝9時に神社に着き、早速神主さんに神像群の有る「方徳殿」を開けて頂く。

「スッゲー…!」

入った部屋には平安から鎌倉末期位迄の、大小の「大将軍神像」が所狭しと並び、筆者を圧倒した!

しかも、何と作行の良い神像群なのだろう…武装し、眼の飛び出た憤怒の表情は共通しているが、各々の顔は個性的で、不謹慎だが「欲しいっ!」モノばかりで有る。

曼荼羅の中心となる北極星役の、陰陽道の巻物と剣を持った坐像や、土台迄一木造のどっしりとした立像、大津の展覧会(拙ダイアリー:「『近江の神仏』に会った、日帰り旅」参照)にも出品されていた「童子像」等、名品揃いも良い所で、最初から最後迄興奮しっ放し!

展示の最後には、腕や衣紋だけの「残欠」も箱に入って有り、もう涎モノ…天罰が怖いので、勿論ソッとしておいたが(笑)…。

前世が「陰陽師」だったと云われる筆者の(この話はまた今度…)「大将軍」との再会は、こうしてやっと、1200年振りに実現したのでした。